C1-1 私たちの知る金太郎.
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『東絵昼夜競』
絵師:楊洲周延 判型:大判錦絵
出版:明治19年(1886)
所蔵:立命館ARC 所蔵番号:arcUP6339.【解説】
金太郎は源頼光の四天王として伝えられる坂田公時の幼名である。金太郎は足柄山に住む山姥の子で、朱色の肌をして「金」の字の入った腹掛けをつけ、怪力で、熊と相撲を取る男の子として印象付けられている。現代では五月の節句人形で親しまれている。戦後、日本の教育方針の統一が行われ、明治時代になると童謡「キンタロー」の内容で金太郎の存在は親しまれるようになった。
金太郎の出生について最初にみられるのは江戸時代が始まり半世紀たったころの古浄瑠璃であった。浄瑠璃の流派として金平浄瑠璃が存在し、その中で金太郎は「足柄山の山姥の子」、「足柄山の鬼女の子」として登場していた(→C03)。そして金時の幼年時代についての定型ができあがったのは近松門左衛門の「嫗山姥(こもちやまんば)」四段目である。(正徳二年七月初演)「嫗山姥」では山姥の子怪童丸と称される。以降浮世絵でも怪童丸の名が用いられ、山姥とともに描かれる。時代を経て、いつしか金太郎は健康を表すシンボルとなった。端午の節句に金太郎の人形を飾ることで、金太郎のように、気持ちの優しく健やかな子どもとして成長してほしいという願いがこめられるようになったのである。
この作品では下部では金太郎が動物と戯れており、その姿を山姥が見守っている。そして上部の駒絵で頼光が小さい妖怪を押さえつけその障子の向こう側に土蜘蛛の影が映し出されていて、公時の将来の活躍を予見している。(宮).【翻刻】
峰は雲間に聳へ壑(たに)は千尋に底霞む足柄山に住家なす。奇女怪童ありしが天元の頃なりけん。源朝臣頼光公任国上総へ赴任のおり此足柄山を過らんとて奇童に出逢玉ひ其凡ならざるを見玉ひ名をも坂田公時と賜り輔弼の臣となし戦功多く忠筋を勵みしと云
【補説】
『嫗山姥』(近松門左衛門作)
謡曲「山姥」をもとに、頼光四天王が世に出る経緯を描く。主筋は源頼光と清原高藤の抗争。 〔二段〕 坂田時行は父の敵である物部平太を討とうとしていたとき、遊女八重桐に恋をする。八重桐は廓話にかこつけて恋のなれそめを語るが、父の敵は時行の妹、糸萩が討ったことを告げ、時行をなじる。時行はわが身の不甲斐無さを悔やみ、一騎当千の男子に生まれ変わって敵の余類を滅ぼさんと念じて自ら命を絶つ。時行の憤怒の魂魄は八重桐の胎内に宿って懐妊し、山姥となって産み落としたのが怪童丸である。〔四段〕清原高藤の讒言により天皇のお咎めをこうむった源頼光が、流浪の旅のなか信州上路の山中で山姥の庵に泊まる。頼光は山姥から、山姥は実は遊女八重桐で、夫時行の憤怒の魂魄をみごもって産んだ子が怪力を持つ鬼のような童子怪童丸である、という話を聞く。童子の力技に感嘆し、坂田公時と名付け臣下とする。【参考文献】
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乾克己ほか『日本伝記伝説大事典』(角川書店,1986)
野村純一ほか『日本説話小事典』(大修館書店,2002)
大隅和雄ほか『日本架空・伝承人名事典』(平凡社,1986)
鳥居フミ子『金太郎の誕生』(勉誠出版,2002)