1.4.歌舞伎と映画

資料名:全国俳優大見立
出版:大正7年(1918)3月 文楽堂杉岡惣吉
作品番号:arcSP01-0158-072 所蔵:立命館ARC。

 現在、日本人が撮影した最古の映像は、明治32年(1899)に製作された「紅葉狩」であると言われている。この作品は、更科姫の九代目市川団十郎と惟茂の五代目菊五郎が出演している。このように、日本映画は、その最初の歴史から歌舞伎との関りがあった。現代でも、映画やテレビドラマに歌舞伎役者が出演することが多いが、本格的に映画が制作・上映されるようになると、短期間で多数の映画を制作する必要性があり、出演する役者は歌舞伎界から供給されることとなった。その最初の映画スターは、「目玉の松ちゃん」と呼ばれて親しまれた尾上松之助である。

 ここに掲示する番付は、代表的な役者の写真が掲載した当時の俳優の総覧で、横綱、大関、関脇などと位付けを相撲番付に見立てたもの。二段目は給金によって順位を決めている。この年の東の横綱は、〈11〉片岡仁左衛門、西の横綱は、〈5〉中村歌右衛門であるが、中央の最上部に「巻頭として(つまり別格として)〈1〉中村鴈治郎が置かれている。ほとんどが歌舞伎役者であるなか、「新派」「喜劇」「新国劇」が東の下部に、西の下部には、「宝塚少女歌劇」や劇場ごと、ジャンルごとの女優が掲載されている。そしてそ最下部には、「活動写真 旧劇」として目玉の大きい尾上松之助の顔が掲載されている。活動写真とは、今でいう映画のことである。また、旧劇は、歌舞伎を指す。歌舞伎役者出身の映画俳優である。
 尾上松之助は、地方の劇場で歌舞伎を演じていたが大阪で出演中映画監督の牧野省三に見いだされ、牧野が経営する京都の千本座に出演、その後、牧野が映画を撮ることになって、数々の映画に出演する。
 活動写真としては、松之助の他80人の名が記されている。この内、下段にある旧劇之部は、歌舞伎役者から映画俳優に移ったものたちで、尾上松之助も含めて、31人を数える。当時これだけの数の歌舞伎役者が映画俳優に移ったということである。(赤間)


明治32年(1899)制作「紅葉狩」(国立映画アーカイブ)

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