吉野ヶ里遺跡
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弥生時代前期、標高1,000m前後の背振山地南麓の吉野ヶ里丘陵一帯には小規模なムラが分散していたが、次第に統合拡大され、弥生時代後期には集落がさらに北部へと広がり、約40haを超える国内最大級の環濠集落へと発展した。V字形に掘削された総延長約2.5kmの外環濠の内外に土塁、逆茂木などを築き、物見やぐらを複数配置し、さらに北内郭、南内郭が設けられた「城のルーツ」ともいうべき環濠集落である。現在は吉野ヶ里歴史公園として整備されているが、復元整備対象とされているのは紀元三世紀ごろ(弥生時代後期後半)の遺構である。以前は邪馬台国との関連が指摘されていたが、現在は否定されており、九州のクニの一つであると考えられている。