佐賀城

佐賀城は、慶長13年(1608)戦国大名の龍造寺氏の居城であった村中城を、家臣であった鍋島直茂・勝茂親子が改修・拡張して築城した典型的な平城で、幅50m以上の広い内堀と幾重もの外堀を巡らし、巨大な五重天守が建てられていた。城は、何度も火災に見舞われ、その都度再建されてきた。享保11年(1726)の火災では、天守をはじめ多くの建物を失い、藩の政庁は二の丸に移ったが、天保6年(1835)再び二の丸が消失、再度本丸御殿が再建され政務は本丸に移った。今に残る鯱の門は天保9年(1838)本丸出入り口を固める門として再建され、明治初期に起こった佐賀の乱で多くの建物が失われたなか、本丸御殿とともに消失を免れた。本丸御殿は明治以降も県庁や学校等として利用され続けたが昭和32年(1957)解体された。

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