E 観音寺城

観音寺城は近江守護六角氏の居城で、繖山(きぬがさやま)全体に築かれた戦国時代最大級の規模をもつ広大な山城。応仁・文明の乱では、3度にわたり観音寺城が攻められたが撃退に成功している。六角高頼は室町幕府が弱体化すると勢力を伸ばし、その子定頼の時代には城の大改修を行ったほか、城内に家臣団の屋敷を置き、城下には日本で初めての楽市を敷くなどした。定頼の子義賢のときには、さらに石垣を巡らすなど城を改築。しかし1568年に織田信長が上洛する際の協力を拒絶したため織田軍の猛攻に義賢・義治父子は城を捨てて逃げ出し、以後城は廃城になったといわれている。

観音寺城は一部に石垣が築かれており最先端の技術が使われていたことがわかる。ただ、規模は日本最大級であるものの防御力という点では虎口や竪堀がない点から貧弱であり、防御のためではなく政治のための城であったとも考えられている。

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