E 小谷城

標高約495mの小谷山に浅井亮政が築城し三代にわたって浅井家の居城となる。亮政の孫である長政は織田信長と同盟を結んでいたが、信長が朝倉氏討伐の兵をあげたことで信長から離反した。その後、1570年に姉川の戦いで織田軍と浅井・朝倉連合軍が激突し織田軍が勝利した。しかし信長は小谷城が堅固であることを考慮して城攻めを断念した。1573年に信長は再び出陣し小谷城を攻め、援軍に来た朝倉軍を壊滅させて撤退に追い込んだ。信長は朝倉軍を追撃し朝倉家を滅亡させた。小谷城へと取って返した信長は小谷城を陥落させた。長政は自害し浅井家は滅亡した。戦後、小谷城は廃城となり、現代にいたっている。

小谷城は多くの郭によって構成されており本丸と中丸の間には深さ10mほどの堀切がある。主郭部のもっとも北にある山王丸には高さ5mにもなる大石垣があり、各曲輪の虎口にも石垣があった。このことから小谷城は当時としては先進的で大規模な城であったことがうかがえる。

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