A2-2-1 「双六遊び」

作品名:「双六遊び」
絵師:鳥居清広
判型:1枚続
出版:宝暦14年(1764)
所蔵: MFA_Boston(MFA21.5401)

本作で女性達が行なっているのは盤双六である。双六というと、多くの人々が絵双六を思い浮かべるのではないだろうか。たしかに、道中双六や出世双六は、印刷文化が飛躍的に発展した江戸時代ならではの双六遊戯であり、現代でいう人生ゲームのように家族や友人と気軽に楽しめる遊びだ。しかしながら、右の美人画/風俗画に描かれる双六には、囲碁や将棋のような遊戯盤が存在する。
盤双六の起源は古く、中国が盤上遊戯の中心地だとして、中国で六博や囲碁が浸透したのち、唐の時代に明らかに西方(中央アジア)から、将棋よりも早くに伝わったものが盤双六である。その発生は、主に古代インドだと考えられている。日本では、貴族の遊びとして5~6世紀ごろから流行したとされ、『日本書紀』の「天武天皇ノ一四年、大安殿ニ御シ、王卿 ヲシテ博戯セシム」という記述などからも、7世紀頃、天武・持統天皇が治める白鳳時代にもその存在が確認できる。
主な遊び方としては、盤を挟んで相対し、白黒の駒を描く15個ずつ配置し、交互に賽をふって、その目によって相手の陣へ駒を進める陣取り合戦である。
碁・将棋・双六の三種の盤上遊戯具は、一揃いで「三面(さんめん)」と呼ばれ、大名家の姫君の婚礼調度には欠かせない道具であった。三面には揃いで豪華な装飾が
施されることが多く、盤双六は貴族の嗜みの1つとして認識されていたこともあり、当初は庶民の生活にはあまり浸透しなかった。その後の盤双六の行く末は、下記の参照記事を確認していただきたい。(香川)

参考文献
河合敦『図解江戸の遊び事典』、学習研究社、2008年
増川宏一『盤上遊戯の世界史』、平凡社、2010年

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