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作品名:「阿部安近祈玉藻前」
出版:天保04年(1833)
絵師:歌川国芳
判型:大判錦絵
所蔵:The British Museum(BM-Album05369)伝承にまつわる妖怪の一人として、次は九尾の狐「玉藻前」を紹介する。本図に描かれている男性は、阿部安近(安倍奏親とも。安倍晴明の子孫)で、右手に持っているものは鏡である。その鏡に九尾の狐が描かれている。阿部安近につかみかかられている女性が、「玉藻前」である。安近の背後に見えているのが、玉藻前の九尾である。
玉藻前は、インド、中国、日本と時空を飛び越え、各時代の王様を骨抜きにした傾城の美女妖怪という。日本での玉藻前の活動時代は、平安時代の末期である。玉藻前は絶世の美女として、鳥羽院の寵愛を一身に受けていた。しかし、鳥羽院の健康に異常が生じる。顔色は青白く、目は虚ろ、行動は落ち着きなく、進化の言葉も着きれない状態になってしまった。これは如何なることかと心配した家臣たちは、陰陽師の阿倍安近に依頼し占わせる。阿部安近は、鳥羽上皇に狐が憑りついているのだと説明する。「天竺では、班足王の后となり、中国では殷の紂王の后、妲己と名乗り、また、周の幽王の后、褒姒と名乗り、ことごとく王を惑わし、国を滅ぼした白面金毛、九尾の狐!今、日本に来て、名を偽り、玉藻と名乗る。」これを聞いた臣下たちは青ざめ、阿部安近に調伏を願った。安近が、清明ゆかりの泰山府君の法を行うと、その威力に玉藻は苦しみ悶え、ついにその正体を表して、天空に飛び去って行った。
その後、九尾の狐は東北の地に現れる。それに対して、弓の名手の上総介広常、三浦介義純が討伐に向かう。狐は那須野菅原まで追い詰められるが、石に変じ、怨念で近づく生き物を全て殺したと言う。石は、玄翁和尚の霊力で、その力を弱めるが、今も、那須野に「殺生石」として残っている。(小山)
参考文献
『玉藻前の伝説』「龍神楊貴妃伝」
国際日本文化研究センター「怪異・妖怪画像データベース」
B3-4 玉藻前