E0 勧進帳

 天保11年(1841)3月江戸・河原崎座で初演。作者は三代目並木五瓶。5代目市川海老蔵(7代目団十郎)の弁慶、6代目市川団蔵の富樫、8代目市川団十郎の義経で初演された。
 初代市川団十郎の生誕190年の寿興行(記念興行)として上演された。元禄13年(1700)に「星合十二段」で初代団十郎が弁慶となって安宅を題材にした作品を演じており、その後も「勧進帳」読み上げの場面を描いた作品は上演されていたが、七代目団十郎は、市川家の権威付けを狙って、できるだけ能の安宅に近づけた作品を企画し、市川家の寿狂言として市川家の十八番の一つと位置づけた。
 筋は、能「安宅」とほぼ同じで、山伏問答の部分は、講談から取り入れたと伝える。奥州へ向かう義経一行は山伏に変装し、東大寺の修繕のための勧進をおこなっていると嘘をついて安宅の関所を越えようとする。しかし、関所の役人である富樫は既に義経たちの情報を受けており通そうとしない。弁慶は機転を利かせて白紙の巻物を勧進帳のように読み上げ、その後の問答にも流暢に対応したが、部下の言葉によって再度富樫は義経たちを引き留め追求する。弁慶はあえて主君である義経を殴打することで疑いを晴らそうとし、富樫は彼らの正体に気づきながらも情に動かされ、関の通過を許し、酒を振る舞い、無事を祈るという物語である。
 初演からの歴史が浅いにもかかわらず、歌舞伎屈指の人気曲である。九代目市川団十郎は、明治に入ってから、彼の高尚趣味と合致して何度も上演し、扮装や演出にも工夫が凝らされてきた。(住a.)

【参考作品】
作品名:「勧進帳 かんじんちやう」
上演:嘉永5年(1852)2月 江戸
絵師:歌川豊国〈3〉
判型:大判錦絵
所蔵:立命館ARC(arcHS03-0007-2_19)