F6 お岩の姿.

作品名:(お岩の霊)
上演:天保2年(1831)3月 大阪・若太夫 「東海道四谷怪談」
絵師:春好斎北州
判型:大判錦絵 2枚続の内
所蔵:立命館ARC(arcUP3452).

画中に、
「今より六とせまへに父松緑か工夫せし亡魂のわざおきも御評判をとりしとて 又此春古めかしくも人々のすゝめいなみかたく
 つもらずに消るめでたし春の雪 三代目梅幸」

との句がみえる。父松緑とは、初代尾上松緑を指す。文化12年(1815)に没しているが、松緑が初演した「阿国御前化粧鏡」や「彩入御伽草」など、夏狂言の怪談怪談ものを集大成したのが「東海道四谷怪談」で、その初演は文政8年(1825)7月のことである。「四谷怪談」初演時は、初代尾上菊五郎の追善狂言として、初代菊五郎が上方に上る名残狂言として「忠臣蔵」の由良之助を演じ大入りとなったことに因み、壱番目狂言に「仮名手本忠臣蔵」、二番目狂言として「四谷怪談」という組み合わせであった。それから「六とせ」、つまり6年後が天保2年(1831)である。この時も、初代菊五郎五十回忌追善興行として前狂言に「忠臣蔵」を置いている。
 このお岩の図には、詞書がなく句のみが記された作品があり(演博蔵)、文政9年(1826)正月大阪角の芝居での大阪初演時の作品と考証できる。したがって、句の解釈は、正月公演であることを考慮する必要がある。「消る」でお岩の亡魂が消えること引き出し、正月興行であることから、積らずに消えるから春の雪は目出度いのだと詠んだものである。なお、三月興行である天保2年に加わったはずの詞書として、「此春」とあるのには多少の疑問は残る。
 本図のお岩は、大詰蛇山庵室の場での姿のようでもあるが、場面を特定できない。本図は、本来2枚続で、右図は、人物も物もない空間が描かれており、お岩はその空を見詰めている。何も描かれていない一枚は、気づかれずに捨てられてしまったらしく、二枚続が揃っているものは極めて珍しい。(a.)