No.21


No.21A  太平遺響(たいへいいきょう)
奈良大学博物館所蔵(T1180)
丁付:序一・序二・序三・序四
横55×縦14.6×厚1.9cm

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No.21B  太平遺響(たいへいいきょう)
奈良大学博物館所蔵(T1902)
巻:一  丁付:乙・二・三・四
横54.7×縦14.8×厚1.9cm

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No.21C  太平遺響(たいへいいきょう)
奈良大学博物館所蔵(T1119)
巻:三  丁付:一・二・三・四
横55×縦14.8×厚2cm

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No.21D  太平遺響(たいへいいきょう) 個人所蔵
安永7年(1778)  中本1冊

21D.jpgNo.21E  太平遺響(たいへいいきょう)  奈良大学永井研究室所蔵
安永7年(1778)  中本1冊

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1点の書物を出版するために、版元はいくつかの手続きを踏む必要があったが、その第一段階は「願写本(ねがいしゃほん)」と呼ばれる草稿を行事に提出し、奉行所に出版申請することである。また最終段階では、草稿にできあがった版本を添えて、行事を通じて奉行所に提出しなければならないが、この手続きは「上ケ本(あげほん)」と呼ばれた。2度の検閲を受けて、ようやく出版許可がおりることになる。『竹苞楼秘録』によれば、佐々木惣四郎は『太平遺響』の上ケ本に際して、1.袋を白紙に変更の上、外題を押印すること、2.扉を白紙に変更すること、3.序文中の「枚」を「片」に訂正すること、4.各巻頭の「朝鮮」「摩阿」の表記を遠慮すること、5.巻一にある「摩訶」のルビを遠慮すること、6.巻二の「心中」を「心乱」に訂正することの6点について行事から指図を受けている。『竹苞楼大秘録』には押印用の「片」「乱」の字を準備した際の経費が記録されていることから、改刻ではなく、版本に訂正文字を押印することで指図に対応したようである。現存の版木・版本にこれらの痕跡は残らないが、あるいは上ケ本用の版本のみに行なった操作かもしれない。展示品のうち、No.21Dは目録4丁と刊記の「竹苞楼」印を欠いた後摺本。No.21Eは表紙見返しの扉を欠き、巻末の広告を削った後摺本である。