イントロダクション

アメリカの民俗楽器(1)

アメリカの民俗楽器(2)

アメリカの民族楽器(3)

アメリカの民俗楽器(2)

ギター guitar

フォークソングというと、まずギターを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。 フォークソングという英語は「民謡」と約されるが、「フォークソング」とカタカナでいうと、日本の70年代のフォークソングや、そのモデルとなった60年代アメリカのフォークソングのイメージが強い。そして、これらのいわゆる現代版「フォークソング」はギターの弾き語りを主流としている。では、現代版フォークソングの起源であるイギリス系アメリカ人の民謡の伝統において、ギターはどのような役割を果してきたのだろうか。
実は、アメリカ民謡にギターが使われるようになったのは、フィドルやバンジョーよりもずっと遅い。 ギターそのものは、19世紀からアメリカ社会に普及していたが、その頃のギターはガット弦でやわらかい音をもち、洗練された上流社会の音楽で使われる楽器だった。 その音量や音色は、パーティーや踊りの伴奏として使われるには適していなかったのだ。
そのギターが民俗音楽に取り込まれるきっかけとなったのは、20世紀に入ってからの楽器の改良だった。ガットではなくスティールの弦を使うことで、より輝きと音量のある音を出すことが可能になったのだ。 また、メールオーダーの普及で、ギターがより安価に安易に手に入るようになったことも、ギターが田舎の一般民衆にまで普及することに一役買った。
1920年代にはギターは南部のストリング・アンサンブルに取り入れられ、バンジョー、フィドルとともに重要な民俗楽器の一つとなった。また南部の黒人の間では、ブルースの伴奏楽器としても定着した。
今日、ブルースではエレクトリック・ギターが主流になり、アコースティック・ギターは、カントリー音楽や60年代のフォークソングなど、白人の音楽と結びつけて考えられることが多い(写真1:ヤマハのアコースティック・ギターいろいろ;写真2:ヤマハのエレクトリック・ギターいろいろ 各楽器の拡大図を見るにはイラストをクリック)。特にカントリー音楽では、ギターを弾き語りするカウボーイのイメージが強いかもしれないが、ギターが民俗楽器として普及したのが1920年代以降だったこと、またそれ以前のギターは非常にデリケートな楽器で、過酷な気候に耐えられるものではなかったことなどを考えると、ギターを弾きながら旅するロマンティックなカウボーイのイメージは、大衆音楽や映画などのマスメディアの世界で後から作られたものといえそうだ。

マンドリン mandolin

 マンドリンはイタリア起源の小さな弦楽器で、クラシック音楽でも使われるが、イタリアやアイルランドの民俗音楽でもストリング・アンサンブル(弦楽合奏団)の一部として使われる。アメリカ植民地時代にイタリア移民によってもたらされたマンドリンは、19世紀終わりから20世紀初頭にかけてアメリカに広く普及した。しかし、そのころのレパートリーは必ずしも民俗音楽ではなく、ジグ(jig 急テンポの舞踊音楽の一種)、行進曲、クラシック音楽の編曲など様々だった。 マンドリンがイギリス系アメリカ人の民俗音楽に取り入れられるようになったのは1920年代からだ。イギリス系アメリカ人の民俗音楽から発展したカントリー音楽、特にブルーグラス音楽においても、マンドリンは主要な楽器の一つとなった(音楽: "There's a Roundup in the Sky" by Bill Monroe, The Music of Bill Monroeより。ヴォーカル・ハーモニーとモンローのマンドリンに注目)。
マンドリンの胴は、一般的にはイチジクを二つに割ったような形で、表は平ら、裏は丸く膨らんでいるが、カントリー音楽では背が平らなタイプが用いられている(イラスト:背が丸いタイプ;写真1: 1910年頃製造の背が丸いタイプ MF3701 Washburn style 275;写真2:1932年製造の背が平らなタイプMF3835 Martin style 30;写真3: 1993年製造の背が平らなタイプ MF3844 Gibson F-5L)。弦は、2弦で一対になったものが4対で、各対は、同音に調弦されている。奏者は撥(ばち)、あるいは人差し指と親指でピックをはさんで持ち、弦を上から下へ打つ「ダウン」と下から上へすくう「アップ」の奏法によって演奏する。「ダウン」と「アップ」の上下動を素早く反復するトレモロは、マンドリンに特徴的な奏法だ。

アパラチアン・ダルシマー Appalachian dulcimer

アパラチアン・ダルシマーは、アメリカ東部のアパラチア山脈地域で発達したアメリカ特有の弦楽器だ。マウンテン・ダルシマー、ケンタッキー・ダルシマーとも呼ばれる。その原型と考えられる楽器は、ドイツ、スイス、ノルウェーなどに見られるが、ペンシルヴァニアのドイツ人コミュニティーで使われていた同種の楽器が、アパラチアン・ダルシマーの直接の祖先と考えられている。 しかし、その起源にもかかわらず、アパラチアン・ダルシマーは、イギリス系アメリカ人の音楽に使われる楽器だ。イギリス系アメリカ人は、バンジョーをアフリカ奴隷から取り入れたように、ドイツ起源の楽器を自分達の民俗音楽に取り入れた。 彼らの民俗音楽は、祖国イギリスから持ち込んだものと、新大陸で吸収したものとを融合することによって発展していったといえる。
基本的に、アパラチアン・ダルシマー(写真原典へのリンク)は細長い胴を持ち、その長さいっぱいに細長い板(指板)が張られ、その上に2本から多くて8本の弦が張られている。現在一般的なのは3―4本だ。胴の形は様々だが、最もよく見られるのは真中がくびれた、8の字を引き伸ばしたような形か楕円形である。伝統的に、奏者は鳥の羽(しっかりした軸のついたもの)や小枝をピックとして使うが、指で弾く場合もある。 このように、アパラチアン・ダルシマーは、その形態、弦の数、大きさ、奏法などに多様なヴァリエーションがある。
アパラチアン・ダルシマーは、イギリス系アメリカ人の踊りや歌の伴奏として、アパラチア山脈の一地域で親しまれてきたローカルな楽器だったが、1950年代頃から、フォーク・リバイバル(民俗音楽復興)の波に乗って広く紹介されるようになった。ジーン・リッチ―(Jean Ritchie)は、リバイバル時代からアパラチアン・ダルシマーの演奏者として知られている(音楽:;Over the River to Feed My Sheep by Jean Ritchie, The Most Dulcimerより)。

ハンマー・ダルシマー hammer(ed) dulcimer

 同じダルシマーという名でも、これはアパラチアン・ダルシマーとは全く関係のない楽器で、アメリカ北部及び中西部のイギリス系アメリカ人の民俗音楽に使われる。ヨーロッパ各地、さらにアラビアや中央アジア、東アジアに同種の楽器は広く分布しているが、ダルシマーという語は、イギリスを中心に用いられているようだ。 この楽器がイギリスから新大陸に持ち込まれたのは1700年以前だったというから、アメリカの民俗楽器としてはかなり歴史が古い。
ハンマー・ダルシマー(写真)は、台形の箱の表面にたくさんの金属弦が張られており、それを小さな木製のハンマーで叩いて演奏する。北米で使われているものは平均60弦ほどで、主に踊りの伴奏に使われてきた。またストリング・バンドの一楽器としても使われた(音楽:Devil's Dream by Jim Couza and Eileen Monger, Music For The Hammer Dulcimerより)。これはイギリス人のレコーディングだが、この曲はイギリス系アメリカ人の間でも演奏される。
ハンマー・ダルシマーは、19世紀の終わり頃、アメリカの民俗楽器として非常に流行し、シアーズなど大手デパートの通信販売でも手に入るほどだったが、20世紀に入ってから次第に人気が衰えた。再び注目を集めるようになったのは、1950年代から1960年代にかけてのフォーク・リバイバル(民俗音楽復興)の時代からだ。