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しばらく


総合


歌舞伎

江戸時代には十一月の顔見世狂言に必ず仕組まれた場面が独立し,その中の主人公のかけ声「しばらく」が劇の題名となった。元禄十年(1697)初演、明治二十八年に歌舞伎十八番と銘打たれた。荒事の代表的なもの。 主人公鎌倉権五郎景政が、筋隈に柿の素袍といういで立ちで、善人方が権力者にまさに斬られようとする時に、「しばらく」と声をかけてあらわれ、これを救うのが大筋。 荒事特有のせりふ、腹出し、なまず坊主等滑稽な扮装の悪人方、景政の大太刀の一振りで仕丁の首が一度に数個切りおとされる等ユーモラスな江戸的味わいの濃いもの。


画題

画像(Open)

解説

(分類:戯曲)

画題辞典

演劇の一狂言にして市川家歌舞伎十八番の一なり、役名は鎌倉権五郎とか、澁谷金玉丸とか、時によりて同じからず、揚幕の内にて「しばらく」と声を懸けて登場するより「暫」の名を以て知らる。元禄年中、初代市川団十郎創めてより、市川家大荒事の一として今に伝はり、江戸名物と知らる。その扮装は初代団十郎の時は腹巻小手脛当素足なりしが、二代目所演の時より小手腹巻の上に緋の襦袢著て、之に力だすきを懸け、更に鶴菱の著付をなし、上に柿色に三升の大紋つきたる素袍を著し、頭に侍烏帽子を戴き、力紙をつけ、顔は二本筋の本隈を施し、大太刀を佩き中啓を携ふるを法となす。鳥居派の芝居絵に画かるゝはいうまでもなく、浮世絵の各派皆之を画きて今に残るも少からず、版行の錦絵となりて世に出でたるも多し。 鳥居清長筆(鳥居清忠氏蔵)、勝川春章筆(市川宗家蔵大正震災亡失)等あり。 (『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

荒事の角鬘を暫といひ、対手の公卿役を受といふ、荒事の忠臣が主君の危救を救ひ悪公卿の張本を挫ぐといふ古代狂言であり、本外題は種々ある、元禄十年中村座『参会名護屋』に初代市川団十郎不破伴左衛門に扮し、悪公卿一味の者等が神社へ奉納した大福帳の額を引卸さうとするを暫く/\と止めに出たのを暫狂言の初演とする、同十三年また森田座『景政雷問答』で鎌倉権五郎景政で演じた、同十四年中村座に『万民大福帳』として初代これを演じたと役者全書にあるが、詳でない、其後同十五年森田座『天地人筒守』に泉小次郎で演じたのは作者三升屋兵庫、同六年『源氏六十帖』では石山源太で演じた、正徳四年中村座で『万民大福帳』を出し二代目団十郎鎌倉権五郎景政て、受は実悪の名人山中平九郎役名を安部貞任として演じた、団十郎は角鬘筋隈大太刀を帯て出る、初代は剃立の鬘であつたのを角鬘に改め、暫くの声を三声に及ぼしたのは柏莛の工夫である、其後暫の狂言はいろ/\の人に依つて出で現在に至つてゐる。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲)