ArcUP0459

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恋合 端唄尽 小さん 金五郎

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絵師: 三代目豊国

落款印章: 任好 豊国画(年玉枠)

改印: 申六改

出版年月日: 万延元年(1860)六月

出版地: 江戸

画題: 「恋合 端唄尽」 「小さん 金五郎」

上演場所: 江戸 (見立)

配役:小さん 三代目 沢村田之助    金五郎 五代目 坂東彦三郎



【翻刻】

ほんちょうし元うた

 くぜつして おもわせぶりの そらねいり おくのざしきのつれびきに ついそれなりに  ころびねの みたれしかみの つげのくし 八まんかねのきぬ/\に わかれともない おくりふね

かへうた

 じつぎから ついしいしたことを いゝすごし なんとわびたらよかろやら   はやながづきよもふけわたる しあんにあまるちゃわんさけ 八まんかねのきぬ/\に かへしともない よつでかご

かへうた

 ゑにしさへ よふたまぎれのかみわさは ひらいたいたせうし(障子)を 立つけて ついころびねの   そのままに みたれてぬれるまくらがみ い○もかねのきぬ/\に わかれともないそでのつゆ 

【語彙】

・くぜつ(口説・口舌):言い争い。いさかい。口論。特に江戸時代、男女の口論を指す。

・空寝入り:熟睡をしているようなふりをすること。たぬき寝入り。

・ころびね(転び寝):男女がひそかに肉体関係を結ぶこと。野合すること。私通。

・つげのくし(黄楊の櫛):ツゲの木で作った櫛のことを指す。

・八まんかね(八幡鐘):江戸深川八幡宮の鐘楼でつく、時の鐘。辰巳の遊里が近いので、後朝(きぬぎぬ)を惜しむ心にかけていうことが多い。

・きぬ/\(衣衣・後朝):男女が共寝をして、ふたりの衣を重ねてかけて寝たのが、翌朝別れる時それぞれ自分の衣をとって身につけた、その互いの衣。衣が、共寝のあとの離別の象徴となっている。また、その朝。暁の別れ。

・よつでかご(四つ手駕籠):四本の竹を四すみの柱とし、割竹で簡単に編んで作り、小さい垂れをつけた粗末な駕籠。江戸時代、庶民が辻駕籠に常用した。遊郭へ行くお金持ちの客が送迎用に利用したこともあった。

・そでのつゆ(袖の露):衣の袖に置く露の意で、悲しみの涙で袖がぬれることのたとえ。

【題材】

<小さん金五郎物>・・・流行唄や歌祭文などに扱われて名高い大坂の歌舞伎役者金屋金五郎と額風呂の湯女である小さん(こさん)との情話を主題にした浄瑠璃や歌舞伎の総称。

              まず初めに上方で形成されたものが後に江戸に渡り、内容が江戸化されて様々に書き換えられていった。

江戸式のものに、 

 「東都名物錦絵始」 「杜若艶色紫」 「裏模様菊伊達染」「対色縁長夜」「浮名の立額」 「盟結艶立額」 「梅雨濡仲町」

などがあげられる。

しかし、他の歌舞伎の筋との抱き合わせで上演されることが多かったため、いずれも原作の面影がとどめられておらず人物も事件も全くの別物になっている。それゆえ多くは「小さん 金五郎」という人名を借りたばかりの作品にすぎなくなっている。


『演劇百科大事典 第二巻』 平凡社、昭和35年6月27日


【題材の実話モデル】

 元禄時代(1688~1703)の、大坂の歌舞伎役者金屋金五郎と湯女額の小さんとの情話が〈小さん金五郎物〉のモデルとなっている。小さんは浪華籠屋町の額風呂にときめいた湯女であり、後に内緬屋のお抱え遊女となった。金屋金五郎は、角の芝居加茂川のしほ座抱えの歌舞伎役者。二人は元禄14年9月に心中したとする説もあるが、金五郎が元禄13年(1700)に31歳で病没したとの説もある。

 当時小さんと金五郎の情話はたいへん好評であったようで、歌祭文『金屋金五郎額の小さん歌祭文』に2人の浮名が唄われ、また宇治賀掾の浄瑠璃『難波役者評判』など、このほかにも多くの唄が作られた。    小さん金五郎の劇化はまず、元禄15年(1702)秋「金屋金五郎浮名額」が人形浄瑠璃に脚色され、大阪豊竹座で初演された。ついで続編の「金屋金五郎後日雛形」が翌々年ごろに成立。歌舞伎では、安永9年(1780)秋、「額の小さん」「妹背掛行燈」「南詠恋抄書」などを始めとして数多く脚色されている。


【梅雨濡仲町】

 「題材」や「題材になった実話モデル」の節でも述べたが、<小さん金五郎物>は大坂で生まれ、数多く脚色され、江戸に渡ってからも様々に書き替えられた。その中でも、今回の担当作品の外題は「梅雨濡仲町」だと推測する。

 「梅雨濡仲町」は「巳之吉殺し」の筋と抱き合わせで安政3年6月に江戸市村座で上演された。配役は、船頭金五郎は3代目坂東彦三郎、小さんは4代目尾上菊五郎によって演じられた。

【あらすじ】

【登場人物】

小さん・・・深川芸者。柳島の妙見堂に自身を奉納し、額の小さんと評判。船頭金五郎を柳島で見染めて互いに深い仲になる。

金五郎・・・笹野半次郎の家来、金谷金五郎。主家のために葵坂下の詮議に苦心している。


飯塚友一郎『歌舞伎細見』第一書房、昭和2年12月

【配役】

小さん・・・三代目 沢村田之助 弘化2年(1845)~明治11年7月7日(1878) 享年34歳。

5代目沢村宗十郎の次男。初め沢村由次郎と名乗り、嘉永2年(1849)7月江戸中村座「忠臣蔵」で初舞台を踏む。安政6年(1859)年正月、中村座「魁道中双六曽我」で3代目沢村田之助を襲名。文久元年(1861)2月中村座「御国松曽我中村」と市村座「鶴春土佐画鞘当」に掛け持ちで勤め大好評を得る。この頃、田之助髷や田之助襟、田之助下駄などが流行する。性格は勝ち気で喧嘩っ早いところがあったが、美貌と才気に富み、髪形やファッションにおいて時代の先端を行き、たくさんの流行を作った。当時の美人画の顔は、田之助に似せたという。慶応元年に脱疽を患い、片足を切断するも舞台を勤め上げる。明治5年(1872)正月村山座にて「国姓爺姿写真鏡」を最後に引退する。しかし、その後も女方を勤める機会を得て大坂や京都などで舞台に立っていた。世話物に適し、口跡・台詞・口上に音声が良く、立役も兼ねたが、女方を本領とし、将来を期待される役者であったが、病気が再発し明治11年春に狂死した。


金屋金五郎・・・五代目 坂東彦三郎 天保3年(1832)~明治10年10月13日(1877) 享年46歳。

浅草寺地中某院地内に住む大工為蔵の子とも、歌舞伎作者の村冠二の弟とも伝えられている。天保11年(1840)に坂東佐十郎の引立てで4代目坂東彦三郎の養子となり、坂東鶴之助と名乗り修行。13年11月中村座の「金竜山誓礎」にて子役として初舞台を踏む。弘化3年(1846)正月、河原崎座「廓模様比翼稲妻」にて坂東竹三郎と改める。安政3年(1856)3月市村座「鶴松扇曽我」で5代目坂東彦三郎を襲名。風姿・口跡がよく、かつ上品で、すべての役に熟し、武道事・実悪・女方を演じては三都随一の名人と云われた。


『歌舞伎人名事典』日外アソシエーツ、1988年9月

【まとめ】

参考文献

・飯塚友一郎『歌舞伎細見』第一書房、昭和2年12月

・『演劇百科大事典 第2巻』平凡社、昭和35年6月27日

・『歌舞伎登場人物事典』白水社、2006年5月

・『歌舞伎人名事典』日外アソシエーツ、1988年9月