「巳之吉殺し」

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巳之吉殺し

 「巳之吉殺し」とは文政3年に起こった事実を基にして作られた歌舞伎・狂言の一系統のことを指す。作品によって「美濃吉」や「美代吉」とされる。 その事実はこうである。

 文政3年3月19日、本郷に住む呉服屋の甚之助が、深川仲町の芸者巳之吉と下女を連れて行った芝居見物の帰りの船中で事件は起こる。甚之助は巳之吉に身上げを入れあげるも、全く相手にされず、その上芝居見物に際しても情人である船宿鈴木屋熊次郎といちゃついていたことに逆上して、殺害に及んだ。巳之吉と下女を海に放り込んだ後、甚之助自身も入水した。

 そして、この一件は早々に同年7月15日から中村座の『忠孝染分手綱』の第二番目に仕組まれて上演されることになる。そして後の安政3年に、河竹黙阿弥作の「梅雨濡仲町」で小さん金五郎の名を借りて「巳之吉殺し」が仕組まれることになる。それから4年後の万延元年(1860)に黙阿弥は、「切られ与三」の世界に縮屋新助を主人公として、八幡祭のあまりの雑踏で永代橋が落ちた事件と巳之吉の一件などを混ぜ合わせた歌舞伎脚本「八幡祭小望月賑」で再び「巳之吉殺し」を描く。