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今様擬源氏 三十七



絵師:一恵斎芳幾

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【翻刻】 横笛

よこふへのしらべはことにかはらぬをむなしくなりし音こそつきせぬ

保輔ハ平井保昌が弟なりも其性あらくして廃れ人となり国々駆廻りて強盗に及ぶ或時兄保昌と不知笛の音をしたひ行に害すべき透なく終に生捕る




【題材】

「今昔物語集」巻第二十五に「藤原保昌朝臣、値盗人袴垂語第七」という説話がありこれが題材になっていると思われる。


袴垂という優秀な盗人の親分がいた。初冬のころ、袴垂は衣を手に入れようと思い夜中に歩いていると、大通りを、衣服を何枚も着ていて、笛を吹きながらゆったりと歩いている者がいた。

 袴垂是を見て、「哀れ、此こそ我れに衣得させに出来る人なめり」と思ければ、喜て走り懸て、打臥せて衣を剥むと思ふに、怪しく此の人の物恐しく思ければ、副て二三町許を行くに、「我に人こそ付にたれ」と思たる気色も無くて、弥よ静に笛を吹て行けば、袴垂、「試む」と思て、足音を高くして走り寄たるに、少も騒たる気色も無くて、笛を吹き乍ら見返たる気色、可取懸くも不思りければ、走り去ぬ。  此様に数度、此様彼様に為るに、塵許騒たる気色も無ければ、「此は希有の人かな」と思て、十余町許具して行ぬ。(『新日本古典文学大系36』「今昔物語集」より引用)

袴垂はついに決意して襲いかかるが、男が振り返って「何者だ」と問うと、袴垂は呆然自失でへたり込んでしまう。袴垂が降参して追剥であると名乗ると、男は「付いて来い」と言い、共に男の家行く。すると男は、中から衣を持ってきて袴垂に渡し、「衣服に困った時は家に来て言いなさい。気心も知らない人を襲って過ちを犯すな。」と言って、内に入って行った。袴垂はその家が摂津前司保昌の家だと知り、その後捕えられたときに、「その人は気味が悪く恐ろしい人であった」と語った。この保昌は、武家の家の生まれではなかったが、肝が太く、腕が立ち、強力で知恵もあったので、公も心配することなく武芸の専門家として仕えさせた。それで、世間の人は保昌を畏怖した。ただし、子孫がないのは武家の家柄ではなかったからだと語り継がれている。  (『新日本古典文学大系36』「今昔物語集」参考) また、「宇治拾遺物語」第二十八話に「袴垂、合保昌事」というほぼ同様の説話あり

以上の引用した部分が、描かれている場面だと考えられる。


〈歌舞伎「市原野」〉

上記の説話は、「市原野」という題で歌舞伎として上演されていた。「市原野」は「だんまり」という方法で演出された。「だんまり」という演出は、暗闇の中で黙ってさぐりあう場面が様式化したものである。「市原野のだんまり」として顔見世狂言などによく取り入れられていた。顔見世狂言は、毎回一つの時代や舞台を設定して行われ、その筋を展開するうえで特殊な規定があった。顔見世狂言の一幕に「だんまり」を取り入れるというのもそのような規定の一つであり、「市原野のだんまり」は「前太平記の世界」が顔見世狂言の舞台として設定されたときに上演されていた。「前太平記の世界」では、源頼光とその四天王、平井保昌らによる武勇伝を題材とした作品が集められ、酒吞童子退治や土蜘蛛退治などの伝説が含まれている。この場合の「だんまり」には、話の筋という筋はなく、新しい役者の顔見世としての役割が強かった。舞踊劇として独立して上演されたのは文久三年(1863年)に江戸守田座で行われたのが最初で、「当稲俄姿画」という三話構成の作品の内の一つとして「市原野」が上演された。このような歌舞伎の「市原野」が、直接的な題材となっていると考えられる。

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〈内容〉

袴垂が保昌の後をつけて襲うのを躊躇しているところまでは上記の説話と一緒である。しかし、そこから牛の皮を被った鬼同丸という盗賊が新たに現れ、三人で探り合うだんまりの場面へと移行していく。鬼同丸は『古今著聞集』に登場する盗賊で以下のような説話がある。

頼光は出かけた帰りに弟の頼信の家に立ち寄る。そこで、厩に鬼同丸が縛られているのを見つける。頼光はもっときつく縛っておくべきだと言って、新たに金鎖でしっかりと縛らせた。この事で鬼同丸は頼光に対して恨みを抱き、夜中の寝静まったころに怪力で逃げ出し、天井に隠れて頼光を攻めようとした。これに気付いた頼光は今から鞍馬へ行くことを宣言する。そこで鬼同丸は、市原野で死んだ牛の腹の中に隠れて待ち伏せすることにした。そこに通りかかった頼光は牛追物を始め、四天王の一人である渡辺綱が死んだ牛に矢を放った。すると、中から鬼同丸がひるむことなく頼光めがけて切りかかってきた。頼光は落ち着いて鬼同丸の首を落とし帰っていった。(『新潮日本古典集成 古今著聞集』参考)

この説話から、鬼同丸は「前太平記の世界」で頼光に対抗する悪党として取り上げられるようになった。以上の説話が合体することで、鬼同丸という新たな登場人物や、市原野という舞台設定が生まれ、「市原野」という一つの演劇としてまとめられたと考えられる。

(『演劇百科大事典』 『日本戯曲全集27 舞踊劇集』 『歌舞伎名作事典』参考)


袴垂と鬼同丸の二つの説話が合わさることになった理由として、文化二年(1805年)読み本の曲亭馬琴『四天王剿盗異録』に、鬼同丸が頼信に捕まる過程で袴垂保輔と術比べをする話がある。その内容は、

保輔は赤山の乾の谷にて妖童鬼同丸と妖術を戦わし、互いに恐れるものを聞き出す。鬼同丸が変化した際に唾をつけられると本形に戻れないことを聞き出した保輔は、自分は駿馬を恐れると偽って教え、鬼同丸が駿馬に変ずると、それに乗って唾をつけ、鬼同丸を本形に戻れないようにし、都に向って走らす。途中、源頼光の舎弟頼信にこの馬を金百両で売り、保輔は立ち去る。(『馬琴中編読本集成第三巻 四天王剿盗異録 : 源家勲績』の解題中の梗概より引用)

というものであり、この話に袴垂と鬼同丸の間に関係があったことが見て取れる。




【登場人物】

〈平井保昌〉 本名は藤原保昌だが、摂津平井郷に住んだことから平井姓を名乗ることもある。平安中期の公家だが、『尊卑分脈』には「勇士武略之長」とあり、保昌に関する武勇の説話が多く伝わっている。頼光の家来として「前太平記の世界」に登場する。  

〈袴垂保輔〉 平安時代にいたとされる伝説の盗人。ただし、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』には、「袴垂」と「保輔」の名が盗人として別々に見えている。これは、二人の別人の名が合体して伝説的な盗人の名となったためだと考えられる。

袴垂は、上記の話ともう一つ『今昔物語集』に話が載っているが、いずれも盗人の大将軍として描かれている。しかし、文学書にしか登場せず、史書には記録されていないためその実像は判然としない。

一方、藤原保輔は藤原保昌の弟で、『尊卑分脈』に「強盗張本 本朝第一武略 蒙追討宣旨事十五度 後禁獄自害」とあるように、保輔もまた名のある盗人だった。ただし、二十歳後半のころに捕縛され、その翌日に獄中で死んだ。

(『日本説話伝説大事典』 『日本伝奇伝説大事典』 『日本架空伝承人名事典』参考)




【考察】

保昌と袴垂が描かれている絵の一部をあげた。一番上の画像は嘉永5年(1852年)に国芳によって描かれた。二番目の絵は慶応年間中(1865~1868年)頃に描かれたとされている。三番目の絵は明治16年(1883年)に大蘇芳年によって描かれた三枚つづりのものである。最後のは明治21年(1888年)に同じく大蘇芳年によって描かれた。これは、月にちなむ逸話や故事、伝承を題材に採った作品を集めた「月百姿」という作品群の中の一作である。保昌と袴垂を描いた絵には月が同時に描かれていることが多く、この題材は月と何らかの関係があったことが伺える。また、説話の中では「月の朧なるに」と述べられているが、歌舞伎の台本をみると、初めは「灯入りの満月」が描かれているのが、だんまりの場面になると「月、雲隠れする」となっていて、途中から月が隠れることになっている。これは、月の光をなくすことでだんまりの場面を幻想的に演出するという意図があると思われ、右の絵の中でも月を雲に隠して描くことで、ふたりのやり取りを幻想的に見せるためだと思われる。それの対して、担当となった絵では満月が雲に隠れることなくくっきりと描かれているのが特徴的となっている。

また、説話の中では舞台は「大路」となっているが、絵の中では薄の野原が描かれている。これは、鬼同丸の説話の舞台が市野原であり、その舞台設定が袴垂の説話にも適用されたために、歌舞伎の舞台では市野原の薄原が場面設定され、絵の中の場面も薄原が描かれるようになったと考えられる。また、長代川が市原野に沿って流れていることから、絵に描かれている川は長代川だと考えられる。この川は嘉永5年(1852年)に国芳によって描かれたものにも描かれている。

  保昌が奥に、袴垂が手前に描かれている構図になっているものが多い。これは、保昌が発する威圧感を袴垂の視点から見ているものに感じてもらうためだと考えられる。「今昔物語集」の説話は、捕まえられた袴垂が後日談として語った話だという形をとっているので、それも絵の中で袴垂の視点が重要視されている理由の一つではないだろうか。また、同じ人物配置でも、保昌が前を向いているものと後ろを向いているものとに分けられる。これも、保昌が振り向くことなく背中で袴垂を牽制したことを表現し、保昌の凄みを強調しているものと考えられる。




【和歌】  

〈源氏物語横笛の巻あらすじ〉

柏木大納言がこの世を去って一年がたった。夕霧は未亡人となった落葉宮を訪問する。夕霧は落葉宮の母から贈り物に亡き柏木の横笛をもらう。その夜夕霧の元に柏木の亡霊が現れ、横笛行き先が自分の望みと違うことを告げる。翌日、夕霧は源氏の邸宅に行き幼い薫とであう。薫に柏木の面影を見出すが、源氏にそのことを伝えると、源氏は話をそらし、横笛を預かるといった。


よこふへのしらべはことにかはらぬをむなしくなりし音こそつきせぬ (この横笛の調べは昔と異ならぬから、琴に同じく、むなしく果てた故人の音は、尽きぬことなく伝えられることよ。)

この歌は、夕霧が横笛を預かったときに、落葉宮の母に対して送った歌である。




〈参考文献〉

『新日本古典文学大系36』池上洵一校注、岩波書店、1993.5-1999.7

『新日本古典文学大系42』三木紀人, 浅見和彦校注、岩波書店、1990.11

『日本説話伝説大事典』志村有弘, 諏訪春雄編、勉誠出版、2000.6

『日本伝奇伝説大事典』乾克己編、角川出版、1986.10

『日本架空伝承人名事典』大隅和雄編集、平凡社、2000.8

『演劇百科大事典』早稲田大学坪内博士記念演劇博物館編、平凡社、1960、

『日本戯曲全集27 舞踊劇集』渥美清太郎編纂、春陽堂、1928

『歌舞伎名作事典』金沢康隆、青蛙房、1959

『新日本古典文学大系22 源氏物語4』柳井滋 [ほか] 校注、岩波書店、1996

『馬琴中編読本集成第三巻 四天王剿盗異録 : 源家勲績』滝沢馬琴、汲古書院、1996