陶弘景

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とうこうけい


画題

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解説

画題辞典

陶弘景、字は通明、五代晋の人、生れて十歳、葛洪が神仙伝を得て之を研讀し養生の志あり、父妾の為めに害されたるに鑑み、修身娶らず、其身長七尺七寸、朗目疎眉細形長額、耳に七十餘毛あり、左膝に黒子ありという、読書万餘巻、併せて棋琴を善くす、永明十年致仕して名山を遍歴し仙薬を求む、永元中三層楼を作りて之に居り天下の師を以て任ず、世に山中宰相の称あり、其条を見るべし、

福岡子爵所蔵に周文の図あり、又近代にては円山応挙及呉春に此図あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

陶弘景は五代晋の人、幼にして神仙の伝に学び長ずるに及び読書万巻に及び琴棋をよくし、薬草に精しく大同二年八十二歳を以て逝いたが顔色変らず常の如くであつたといふ。『列仙伝』に曰く

陶弘景、字道明、秣陵人、初母夢青竜自懐而出両天人皆傍執香炉已而有娠、生而幼有異操、十歳見葛洪神仙伝、昼夜研尋、便有養生之志謂人曰、仰青雲睹白日、不覚為遠矣、父為妾所害、終身不娶、及長身七尺七寸、神儀明秀、朗自疎眉、細形長額、聳耳、耳各々有七十余毛、出外二寸許、右膝有数十黒子、作七星文、読書万巻、一事不知以為深恥、善琴棋、工草書隷、弱冠斉高帝作相引為諸王侍読、雖在朱門、閉影不交外物、惟以披閲為務、家貧求宰県、不遂求明十年、脱朝服掛神武門、上表辞禄、詔許之、勅所在月給茯苓五斤白蜜二升、以助服餌、公卿祖之供帳甚盛、咸云宋斉以来未有斯事朝野栄之、乃止于句容之茅山立館号曰華陽隠居。云々

弘景又を好み松風を愛し、庭院皆松を栽ゑその響を聞き欣然として之を楽んだと、亦好箇の画題である、又、世山中宰相と称した、これを画いた作に左の如きものがある。

周文筆  福岡子爵家蔵

応挙筆  所蔵者不明

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)