関寺小町

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老衰した小町が、近江国の関寺付近に居住していた時、寺の稚児のために和歌の道を説き、この寺で行う七夕祭に招かれる。

〈出典:原色浮世絵大百科事典 昭和56,11,30 大修館書店〉せきでらこまち


画題

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解説

画題辞典

謡曲の一なり、絶代の美人と謡はれし小野小町の、年老いて容色衰え、近江国関寺の辺に庵を結びて住みけるを、歌道の誉れにより七夕祭に寺に招かれて、昔に帰りて舞をまひしことを作れるものにして、出処は愚見抄及鴉鷺記に在ることなり、卒都婆小町などゝ共に亦画題の一とせらる。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

謡曲の名、小町老い衰えて、関寺のほとりに住んでゐると、歌道の誉れと七夕祭に寺に招かれ舞を舞ふ、出所は『愚見抄』である

小野小町、大江惟章が妻になりて、筑紫へ下りけるが、後に尼になりて、近江の国関寺のあたりにありける

の一文と『鴉鷺記』の

いくばくか人の心を悩ましといへども、おとろへぬれば鄙にさすらひ、都にさまよひ、はては関寺の辺に庵を結びて、野辺の若草に命をささへ、うきすまひをせしを、智証大師御覧じまし/\て寺にて七日の御説法ありとて召されしに、身のありさまを恥ぢて参らざりし時、御使たび/\なりしかば、召すことはおののやけばとわびけんも、誠にあはれに覚えたり、そのまゝ乞食となりで昔しのばれしほど、今は厭はれ終に路次の骸となる。

とあるなどを骨子とした。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)