貞信公

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ていしんこう


画題

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解説

(分類:武者)

画題辞典

貞信公は太政大臣藤原忠平がことにして、摂政基経が四男なり、延長八年九月摂政に任じ、天慶四年十一月関白に上る、公卿四十二年、大臣三十六年、執政廿年に及ぶ、世に又小一条の太政大臣ともいう、その陣座に於ける怪事は人口にも膾炙し、貞信公の題下に屡々画かるゝ所となす、大鏡より出でしことにて、原文左の如し。この殿、何れの御時とはおぼえ侍らず、思ふに、延喜朱雀院の御ほどにこそ侍りけめ、宣旨うけ給はらせ玉ひておこなひに、陣の座ざまにおはします道に、南殿の御帳のうしろの程、とほらせ給ふほどに、物のけはひして、御太刀のいしづきを捉へたりければ、いと怪しくてさぐらせ給ふに、毛はむくむくと生ひたる手の、爪は長く刀の刃の様なるに、鬼なりけりといと物恐しく思召しけれど、臆したるさま見えじと念ぜさせ給ひて、公の勅定給はりて、さだめに参る人捉ふるは何者ぞ、ゆるさずはあしかりなむとて、御太刀をひき抜きて、彼れが手をとらへさせ給へりければ、まどひて、うちはなちてこそ、うしとらのすみざまへまかりにけれ、思ふに夜のことなりけむかし。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

貞信公は太政大臣藤原忠平のこと、基経の四男、延長八年庚寅九月廿一日摂政、天慶四年辛丑十一月八日関白の宣旨あり『公卿にて四十二年、大臣の位にて三十二年、世をしらせたまふ事廿年、後の御いみな貞信公となづけたてまつる』と大鏡には記してゐる、その南殿に於て鬼にあふて沈勇を示すこと、同じく大鏡にあつて名高い。

南殿の御帳の後の程とほらせたまふに、もののけはひして、御太刀のいしづきをとらへたりければ、いとあやしくてさぐらせ給ふに、毛はむく/\とおひたる手の爪ながく刀のはのやうなるに、鬼なりけり、と、いとおそろしく思しけれど、臆したるさまみえじと念ぜさせ給ひて、「おほやけの勅宣うけたまはりて、さだめにまゐる人とらふるは、なにものぞ、ゆるさすばあしかりなむ」とて御太刀をひきぬきて、かれが手をとらへさせ給へりければ、まどひてうちはなちてこそ、丑寅のすみざまへまかりにけれ、思ふに夜のことなりけむかし。  (大鏡上)

大和絵の好画題として画かる。

島田墨仙筆  昭和十五年東京会出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)