袴垂

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はかまだれ


画題

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解説

画題辞典

袴垂ほ王朝時代の巨盗なり。多力にして克く走る。其の平井保昌に遭ふの一条は今昔物語に出でて名高き逸話に属す。即ち袴垂善き衣を得んとして、或る月朧なる一夜大路を伺ひあるきけるに、恰も数々の衣著て狩衣指貫し唯獨リ笛吹きてすゝる歩行きせるものあるに出會し、是れ屈竟と後をつけて二三町も行きしに、彼人、人のつきたりと思ふ気色だになく静に笛吹きて歩み、足音高く進み寄れば、僅に見回るのみにて少しも乱れず、従容笛を口にすること依然として歩を績く。刀抜きて走り懸ればその人始めて笛を止めて振回り何者ぞと聞く、その威容すさまじかりければ袂垂唯心も肝も消ゆるばかりに怖しく唯平伏して袴垂と呼ぶ引剥なりと答ふ。希有の奴なり来れとありしかば随ひ行くに、その家まで伴ひ行きて綿厚き衣一つ給ひつとなり。是れ即ち常時胆智勇決の聞ある平井保昌なり。袴垂遭保昌図は屡々画題に上る所となす。明治十五年の絵画共進會には大蘇芳年の画あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

平安朝時代の有名な賊の名、そのこと『今昔物語』に精しく

今は昔袴垂と云ふ盗人有りけり、盗を以て業として有ければ被捕て獄に被禁たりけるが、大赦に被掃て出でにけるが、可立寄き所も無く可為き方も不思ざりければ、関山に行て露身にかけたる物も無く裸にて虚死をして路辺に臥せりければ、路行き違ふ者共これを見て、此は何にして死たる者にか有らむ、疵もなきはと見繚ひ云ひ喤ける程に、吉き馬に乗たる兵の調度を負て数多の郎等眷族を具て京の方より出来たりけるが、此く人の多く立約て物を見るを見て、馬を急と留めて従者を寄せて彼は何を見るぞと見せければ、従者走り寄て見て疵も無き死人の候ふ也と云ければ、主然か聞くまゝに引組弓を取直して馬を押去て、死人の有る方に目を懸て過ければ、此を見る人手を叩きて哄ひけり。(中略)其の後、人皆行散などして死人の辺に人も無かりける程に、亦武者の通る有けり、此は郎等眷族も無し、只調度を負て此の死人に只打に打懸りて、哀れなる者かな何にして死たるにかあらむ疵も無きをと云て弓を以て差引などするを、此の死人やがて其の弓に取付て起走て馬より引落して祖の敵を此くぞ為ると云ふまゝに、武者の前に差たる刀を引抜いて殺してけり。

此の袴垂が、平井保昌に月の夜に出逢ひ、之を襲ふとして却つて保昌の胆力に怖るゝ物語が有名である、大蘇芳年にその作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)