虎御前

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とらごぜん


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「曾我物語」の登場人物。 相模(さがみ)(神奈川県)大磯の遊女で虎御前ともよばれる。曾我祐成(すけなり)の愛人。祐成が父の仇(あだ)討ち後に殺されると尼となり,曾我兄弟の母をたずね,兄弟の供養(くよう)をする。信濃(しなの)善光寺,紀伊(きい)熊野など全国各地にその伝承がのこる。「吾妻鏡」にも名がみえ,実在の人物との説もある。一説に寛元3年(1245)71歳で死去とも。 出典:日本人名大辞典

東海道大磯(おおいそ)の遊女。『曽我(そが)物語』で、十郎祐成(すけなり)と契って妾(めかけ)になるが、兄弟の死後出家する。出家後、真名本(まなぼん)では、熊野、太子、吉野などを回国し、天王寺に滞留したあと、東海道を下って曽我の里で兄弟の一周忌を行い、骨を信濃(しなの)善光寺に納めたとある。流布本では、さらに上洛(じょうらく)して法然上人(ほうねんしょうにん)の法談を聴聞している。尼となった虎女が諸国を巡歴して記念にとどめたという虎が石の伝説や、また、虎女の墳墓と伝えるものは各地に多い。神奈川県大磯町延台寺の虎が石、静岡県足柄(あしがら)峠の虎子石はよく知られる。山梨県南アルプス市芦安安通(あしやすあんつう)では、虎女はこの村の生まれだといい、祐成没後は故郷に帰って没したという。また、兵庫県朝来(あさご)市の墓は、この地を訪れた虎女が足を患い没した由を伝えている。「トラ」は本来、石の傍らで修法する巫女(みこ)の呼び名であったと考えられており、石占(いしうら)などを職掌とする回国の巫女の活躍が、のちに大磯の虎に結び付いて各地に残ったのであろう。 出典:日本大百科全書とらごぜん


画題

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解説

(分類:戯曲)

東洋画題綜覧

相模の国大磯の遊女、母は大磯の長者某の女、父は嘗て関東に謫せられた伏見大納言実基、虎、歌を善くし、容貌美しく、曽我祐成屡々大磯に遊び虎を見て悦び、虎また相愛す、相豪競うて慇懃を通ぜんとしたが顧みず、和田義盛は虎の家に飲み虎に酌をさせやうとした処虎が応じないので、義盛大に怒り之を責めたが、虎は曽我は寒士、和田は豪族、妾貧富の故を以て其の心を易へやうかと、時に祐成虎の許にあつた、義盛、祐成に請うて同座し酌をせしめやうとしたが、虎は祐成に酌するばかりで義盛には遂に盃を手にしなかつた、祐成、復讐の前、虎を訪ふて具さに別れを惜んだが、祐成本懐を達し、仁田四郎に討たるゝや、頼朝、虎を召して、問ひ質し許されて帰るや悲嘆やる方なく、箱根山に登り曽行実に請ひ祐成の冥福を弔ひ、祐成の愛馬を施物として遂に尼となり、信濃の善光寺に赴く年僅かに十九、後、祐成復讐の地に到り涙を流し和歌を詠じて、曰く

浮世にぞ思ひそめにし墨衣今また露の何とおくらん

露とのみ消えにし跡を来てみれば尾花がすゑに秋風ぞ吹く

と、それより大磯に帰り、高麗寺に住み、後、紀州熊野で歿したともいふ。歳七十一。  (日本人名辞書)

虎御前は美人画の好画題として浮世絵によく画かれてゐる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)