菊慈童

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きくじどう


画題

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解説

(分類:中国)

画題辞典

菊慈童は支那の仙童なり。初め名を慈童という、容姿頗る艶麗、周の穆王に仕えて寵を受けしも、官人の妬む所となり、過失を嫁せられて、十六歳にして流罪に処せらる。その時王深く之を憐み、慈童に与ふるに山野に在りて虎狼の難を免れ、長寿を得べき為めとて、与ふるに「具一切功徳慈眼視衆生、福寿海無量是故応頂礼」なる普門品の二句の偈を以てす。慈童之を懐にして酈懸山に走り、朝夕二句を口に唱え、且つ渓流の辺に繁茂せる野菊の葉にその句を書す、然るに流泉会々その菊葉にかゝりしものは直に不老不死の薬となり、慈童は永く少年の姿を以て世に在りという。是より菊と慈童を配して菊慈童というに至る。古来図せらるる所多し、

狩野探幽及常信周信等の作多し、徳川綱吉画く所は護国寺に蔵す、近く菱田春草図あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那の仙人、彭祖のことで、によつて長寿を保ち永く童形であつたといふ。周の穆王の時代の物語

此時慈童といひける童子を、穆王寵愛し給ふに依りて、恒に帝の傍に侍りけり、或時彼慈童、君の空位を過ぎけるが、誤りて帝の御枕の上をぞ越えける、群臣議して曰く、其例を考るに罪科浅きにあらず、雖然事誤より出でたれば、死罪一等を宥めて遠流に処せらるべしとぞ奏しける、群議止むことを得ずして、慈童を酈県といふ深山へぞ流されける、彼酈県といふ処は、帝城を去る事三百里、山深くして鳥だにも鳴かず、雲瞑くして虎狼充満せり、されば仮にも此山へ入る人の生きて帰るといふことなし、穆王猶慈童を哀み思召しければ、彼八句の内を分たれて普門品にある二句の偈を潜に慈童に授けさせ給ひて毎朝に十方を一礼して此文を唱ふべしと仰せられける、慈童遂に酈県に流され、深山幽谷の底に棄てられけり、爰に慈童君の恩命に任せて、毎朝一反此文を唱へけるが、若し忘れもやせんずらんと思ひければ、側なる菊の下葉に此文を書きつけたり、其より此菊の葉における下露、僅に落ちて流るゝ谷の水に滴りけるが、其水皆天の霊薬となる、慈童渇に臨みて是を飲むに、水の味天の甘露の如くにして、恰も百味の珍に勝れり、加之天人花を捧げて来り、鬼神手を束ねて奉仕しける間、敢へて虎狼悪獣の恐なくして、却りて撫骨羽化の仙人となる、是のみならず此谷の流の末を汲みて飲みける民三百余家皆病即消滅して不老不死の上寿を保てり、其後時代推し移りて八百余年まで慈童猶少年の貌ありて更に衰老の姿なし、魏の文帝の時彭祖と名をかへて此術を文帝に授け奉る、文帝是を受けて菊花の盃を伝ヘて万年の寿をなさる、今の重陽の宴是なり。  (太平記十三)

菊慈童は古来好画題として画かるゝもの極めて多い

狩野常信筆  古殿家旧蔵

徳川綱吉筆  東京護国寺蔵

佐藤光華筆  第十一回文展出品

安田靫彦筆  昭和十四年七絃会出品

横山大観筆  三越小品画展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)