祇王祇女

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ぎおうぎじょ


画題

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解説

東洋画題綜覧

祇王は平清盛の寵を一身に集めた白拍子で、祇女はその妹である、清盛に初めて召された時、姉妹の白拍子は

蓬莱山には千歳経る、万歳千秋重れり、松の枝には鶴巣喰ひ、巌の上には亀遊ぶ。

と同音に歌ひ舞ふたので、清盛大に興を催し、姉の祇王を殿下に留め寵愛したが、妹祇女も姉の余光で洛中に盛名を馳せ、凡そ女児を持つ親の、此の姉妹を羨まぬはなかつた、然るに仏御前が現はれてから清盛の寵を奪はれ無常を感じ、清盛の常に見てゐる障子に

萌出るも枯るゝも同じ野べの草いづれか秋にあはで有るべき

と書き捨てゝ殿中を退いた、仏は己が身故祇王の寵の衰えたことを察し、清盛に勧めて祇王を招いた、祇王は心進まず、止むなく祇女と同車して六波羅へ赴いた、折柄清盛は仏を前に酒宴中であつたが、強いて歌へといふので、渋々ながら

仏も昔は凡夫なり、我等も終には仏なり、三身仏性具しながら、隔つる心のうたてさよ

と折返し歌つたので満座哀れを催さぬものとては無かつた、後、妹や母と共に剃髪した、時に祇王は二十一、祇女は十九。仏御前も、二人の噂を聞き、あとを追うて墨染の衣を纒ふ身となつた、仏は僅かに年十七であつた。

この事、『平家物語』(平家物語には義王義女)『源平盛衰記』第十七に精しい。

能にも「祇王」の一番がある、平家や盛衰記から取つたもので、祇王と仏と共に舞ふ所が主眼になつてゐる。

「いかに仏御前、あらおもしろの御述懐や候ふ、又御諚には、御前にてぞと御舞あれとの御事にて候ふ、「仰せに随ひ立ち上り、まづ悦びの和歌の声、いで祇王御前同じくは相曲舞に立ち給へ、「妾はいつも舞の袖、事ふりぬれば人々も、目がれて興やなからまし、「実に/\さぞと夕顔の、花の狩衣烏帽子を着、袖めづらかに出で立たん、「実におもしろや舞人の、衣裳を飾らば今ひとしほ、「有明月の影ともに、面つれなき心とは、我だに知れば恥づかしや、思ひは朝まだき、花の衣裳を飾らんと二人伴ひ立ち出づる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)