王昭君

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

おうしょうくん


画題

画像(Open)


解説

(分類:物語)

画題辞典

工昭君、名は嬙、漢代の美人也、後漢元帝竟寧元年匈奴単于入朝し、後宮の美人を得んことを求む、是れより先、元帝の後宮多きを以て豫ねて画工に命じて其形貌を図せしむ、宮人皆画工に賂して其美を描かしむ、獨り王昭君贈くる所なし、故に画家其美を画かず、是に於て匈奴入朝するに及び、帝宮人の図を閲して匈奴に遣はすべき美を撰び、昭君其選に入る、往々に際し、帝召見するに、昭君美貌後宮第一にして挙止亦だ閑雅なり、帝悔み且つ之を惜しめども、名藉已に定まりたる後なるを以て信を外国に失はんを恐れて肯て改めて党に行かしむ、或は曰く昭君後官に入る数歳御せられず、故に悲怨を積み掖庭に請ひ自ら行かんことを求めしなりと、其の豊容漢宮の光明たる身を以て、宮庭を辞して遠く蠻地に至らんとする悲愁の態は、由来画家の好題目たり。小粟宗丹筆(京都大心院所蔵) 土佐光起筆(佐竹候爵旧蔵)狩野探幽筆(伊達伯爵旧蔵) 清原雪信筆(原富太郎氏所蔵)円山応挙筆(水野子爵所蔵) 鶴澤探山筆(東京帝室博物館所蔵)久隅守景筆(井上侯爵所蔵)明治時代には菱田春草の画あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

王昭君は漢の美人、元帝の時召されて後宮に入つたが、竟寧元年匈奴の単于が入朝して後宮の美人を求めた際、元帝は後宮の女の数多いので予て画かしめた画像を取出し一番醜く画かれた王昭君を贈ることにした、昭君召されて愈々匈奴に赴く事になり王昭君を見ると画像とは似てもつかぬ美人なので今更これを惜しんだが約は抂ぐることが出来ず遂に王昭君を贈ることになつた、开で元帝大に怪しみ画工を詰問すると画家毛延寿が多くの賄賂を取つて美しく描き、之をなさなかつた王昭君を故意に醜く描いたことが現はれたので、元帝大に怒り延寿を斬罪に処した、昭君匈奴に往て一子を生んだが、単于が殁後、胡地の露と消えた、胡地の塚の皆白いのに、昭君のみひとり青かつたので青塚といふ、その琵琶を抱いて胡地に赴く処よく画かる。

元帝後宮既多、不得常見、乃使画工図形、案図召幸之、諸宮人皆賂画工、多者十万少者亦不減五万、独王嬙不肯、遂不得見、匈奴入朝求美人為閼氏、於是上案図、以昭君行、及去召見、貌為後宮第一善応対、挙止閑雅、帝悔之而名籍已定、帝重信於外国、故不復更人、乃窮案其事、画工皆棄市、籍其家、資皆巨万、画工有杜陵毛延寿、為人形醜好老少、必得其真安陵陳敝、新豊劉白、龔寛並工為牛馬飛鳥、衆務人形、好醜不逮延寿、下杜陽望亦善画、尤善布色、樊育亦善布色、同日棄市、京師画工、於是差稀。  (西京雑記)

王昭君を画いた名作

銭舜挙筆               紀州徳川家旧蔵

狩野探幽筆              島津公爵家旧蔵

土佐光起筆              佐竹侯爵家旧蔵

久隅守景筆              今井家旧蔵

清原雪信筆              原善一郎氏蔵

細田栄之筆  『王昭君毛延寿双幅』  桑原羊次郎氏旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)