浦島太郎二度目の龍官

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総合

【書誌情報】

国書所在 【版】東洋岩崎,東北大狩野,日比谷加賀,大東急

分類 黄表紙

外題 二度目の龍宮

題簽 「浦島太郎 二度目の龍宮 全」(後のもの)

柱刻 「うらしま太郎」(一~十)

紙数 2巻2冊 10丁

作者 市場通笑

画工 鳥居清長

版元 奥村屋

刊年 安永9年(子年)


【あらすじ】

浦島太郎、故郷へ帰っても、敷代後の人達の世になってしまっていて、庄屋が人別帳を見ても、二十年より先のことなのでわからないという。そこでまた、浦島 は亀に乗って龍宮に戻った。けれどももう白髪の老翁となってしまっているので、浦島の若い姿しか知らず、乙姫とは釣り合いが取れない。龍宮の魚たちは、ど うしたものかと途方に暮れたが、その時龍王は、御自身に秘法を修して、その効験に依って浦島の齢は若返った。そこでまた、浦島と乙姫は祈言をして、再び夫 婦となった。 浦島の人形は廃れたが、これほどめでたい浦島雛は飾りたいという。 そして、浦島は今も龍宮にいるけれど、その長寿を庶民に肖らせんため作った出店が、武州神奈川にある浦島大明神の宮である。


【浦島太郎】

御伽草子

昔、丹後国の主人、浦島という人に、年齢24・25歳程の、浦島太郎という息子がいた。太郎は漁師をして、両親を養っている。ある日太郎は、釣りに出かけたところ、亀を一つ釣り上げたが、「亀は万年と言うのにここで殺してしまうのはかわいそうだ。恩を忘れるなよ」と海に帰してやる。後日、釣りの準備をしていると、はるかかなたの海上から船が難破して漂流してきたというきれいな女が小舟に乗って近づき、故里まで送ってくれと、泣きながら訴える。あはれと思った浦島は、女の故郷に到着する。女に連れられていった世界は、言葉にも言い尽くせないほど素晴らしいところであった。そこで、太郎と女は、夫婦の契りを結び、仲むつまじく暮らす。女が言うには、そこは龍宮城というところで、四方に春夏秋冬の四季が同時に存在するという、よにも不思議なところである。気づけば三年の月日が流れていた。太郎は故郷の両親が気にかかり、女に三十日の暇乞いを申し出たところ、女は悲しみ泣きながら太郎に、自分は昔太郎に助けられた亀の化身であり、恩返しのために夫婦となったということを告白する。そして、美しい箱をけっして開けてはならない、自分の形見にと言って、太郎に与える。太郎が故郷へ帰ってみると、我が家は消えはて、辺り一面荒れ果てた野辺である。不思議に思った太郎は、傍らの翁の小屋に理由を尋ねたところ、翁は、浦島という人がいたのは700年も前のことで、そこに見える古い塚こそがその人の墓所であると、涙を流しながら言うのであった。その古塚を尋ね、呆然とした太郎は、亀の化身が与えた箱を、今となってはどうでもいいという思いで開けてしまう。すると、中から紫の雲が三筋の立ち昇り、太郎は老人に変わり果ててしまった。それから太郎は鶴になってへ飛び去り、蓬莱山へ赴き、そこで亀と遊んだ。後には丹後国に浦島明神として顕現し、亀も同じところで神となり、夫婦の明神となった。


浦島伝説は、記紀・万葉の時代から語り伝えられていた。「万葉集」には、海辺に立って、水江の浦島子の物語を想って感慨耽るという長歌がのっている。「丹後国風土記逸文」や「古事記」には、亀に化した神女に導かれて蓬山(とこよ)に行き、これと契り、三年(人界の三百年)を経て帰り、形見の玉匣(たまくしげ)を禁を破って開き、忽ち老翁となる話が記されている。「日本書記」には、丹後国余社郡管川の漁夫が、釣り上げた亀の化した女と契り、その女と共に海に 入り、蓬莱山に至った由が記されている。その他、「俊秘抄」にも、水の江の浦島が、釣り上げた大きな亀と契り、海の彼方へ行き、小さな箱を貰って帰り、禁 を犯して開け、忽ちに老いかがまって物も覚えぬようになり、深く後悔したと記されている。
これ等の古書に記されている物語は、浦島説話の原型を伝えるものであろう。すなわち、浦島説話の原型が次のようであったと考えられる。
1 丹後の国の漁夫浦島は漁をしていて亀を釣り上げた
2 この亀は神女の化したもので、浦島はこれと契り、導かれて海の彼方の蓬莱山に行く。
3 浦島は故郷が恋しくなり、玉手箱を貰って帰る。
4 禁の犯して箱を開け、忽ちに老人と化す。
浦島説話は、中世の人々にはたいへん親しまれ たようである。多くのお伽草子や奈良絵本が残っている。横山重氏は「室町時代物語集」第五に、絵巻の「浦島太郎」、近世の写本「うら嶋太郎物語」、解題に「浦島太郎諸本」をあげて十種類におよぶ絵巻や、奈良絵本お伽草子をあげておられる。中世においては、大体浦島説話のパターンがきまったものとなり、これに絵を交えて多くの書物が作られたのである。

鳥居フミ子 (1974). 中世説話と古浄瑠璃: 古浄瑠璃 「浦島太郎」 の場合, 實踐國文學, 5, 27-34, 実践女子大学.

→浦島太郎の物語は「万葉集」や「古事記」などにも載せられているが、中世においては大体のパターンが決められていて、親しまれていた。そのため、江戸の人々には「御伽草子」の「浦島太郎」が広く知られていたのではないかと考えられる。が、作中にも書かれた神奈川にも「浦島太郎伝説」があり、「御伽草子」とは少し違った内容を持っている。

神奈川区 浦島太郎伝説

 相模の国三浦の里に、水江の浦島太夫という人が住んでいた。太夫は仕事のため、久しく丹後の国へ赴いていた。その子の太郎が一日海に出て帰る際、浜辺で子供らにいじめられていた亀を助け、助けた亀に連れられて「竜宮城」へ行き、乙姫様のもてなしを受けた。月日の経つのも夢のうちで、いつしか3年の歳月が流れた 父母恋しさに暇を告げたところ、乙姫様は別れを惜しんで、玉手箱と聖観世音菩薩を太郎に与えた。故郷の土を踏んだ太郎には、見るもの聞くものすべて見知らぬものばかりであった。ついにこの玉手箱を開くと、中から白い煙が出てきて白髪の老人になった。3年と思ったのが実は300年、すでに父母はこの世の人ではなく、武蔵の国白幡の峰に葬られてあると聞いて尋ねてみると、二つの墓石が淋しそうに並んでいた。  太郎は墓の傍らに庵を結んで菩薩像を安置し、父母の菩提を弔う。この庵がのちの観福寿寺で、通称「うらしまでら」と呼ばれる。


比較

 御伽草子神奈川 浦島太郎伝説二度目の竜宮
釣って逃す虐められていた亀を助ける記述なし
亀の化身乙姫(亀とは別の存在)乙姫
現実での時間700年300年8000年
結末蓬莱山に赴き、鶴になって浦島明神となる武蔵の国白幡(現在の横浜市)に帰り、父母の墓の傍らに庵を結び、のちの観福寿寺で、通称「うらしまでら」と呼ばれる。が、浦島太郎がどうなったかは言及ない。浦島は今も龍宮におり、その長寿を庶民に肖らせんため、神奈川に浦島大明神の宮が作られる


→現実で流れた時間は大きな違いを持っているが、亀と姫が別の存在であることと、「神奈川」という場所も同じだということから、「二度目の龍宮」は「御伽草子」の浦島太郎より、神奈川の「浦島太郎伝説」の後日談として書かれたのではないかと思われる。さらに、「浦島太郎伝説」では、浦島が箱を開け、父母の墓の傍らに庵を結んだこと以降のことは記述がないことから、それ以降の浦島は「二度目の龍宮」に続くのではないかとも考えられる。



【後日譚】

亀屋万年浦嶌栄

 袋入(2巻1冊10丁) 深川錦鯉作 恋川春町画 鱗型屋板 天明3年(1783年)  浦島太郎の七世の子孫久太郎と松二郎兄弟は、先祖浦島太郎にめぐり会いたく海でもぐりの練習をするとこと河童にさらわれる。一方浦島は久し振りに故郷へ帰らんと亀を伴い行く途中、七世の子孫久太郎と松二郎が河童にさらわれたことを知り、乙姫よりお土産に貰ったかま出箱の中から胡瓜を取り出し、河童を胡瓜でおびき出して捕え、それまでさらっていた子供達を無事救い出す。このころを聞きつけた八大竜王は、河童を海から追い放し、救った子供達と乙姫の妹を浦島と亀に預け、海と川とのさかい町に子供屋を開かせ、その名を亀屋と名付けて今に繁昌する。

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(1丁裏-2丁表、浦島太郎と乙姫と亀)


浦島が帰郷 八島の入水 猿蟹遠昔噺

二巻・二冊・十丁 恋川春町作 恋川春町画 蔦屋板 天明三年 竜宮から帰郷する浦島太郎の跡を追う乙姫は海辺で平家蟹に驚き生胆を失う。乙姫の生胆を拾った猿は、娘気取りで桃太郎を慕い、茹蛸寺の鐘の中に逃げ込む桃太郎を追いかけ、蛇体となって鐘に巻きつく。それを平家蟹が鉄でちょんと斬って中から生胆を取り出し、無事乙姫の体に戻す。   →浦島太郎以外にも、「平家蟹伝説」「猿の生胆」「猿蟹合戦」などからもモチーフをとっている。

・平家蟹伝説
 蟹の甲羅に怒りにみちた顔のような模様があり、これは、壇之浦の戦いで戦死した平家の武将の怨霊が乗り移ったものといわれ、平家蟹と呼ばれている。


・猿の生胆
病気をなおす妙薬といわれる猿の生き肝を取りに龍王からつかわされた水母(くらげ)が、猿をだまして連れて帰る途中、その目的をもらしたために、「生き肝 を忘れて来た」と猿にだまされて逃げられてしまい、その罰として打たれたため、それ以後水母には骨がなくなってしまったという説話。
・猿蟹合戦 
目先の欲にまどわされた猿は、自分の拾った柿の種を、蟹の拾った握り飯と交換し、握り飯を食ってしまうが、蟹はその種をまき、手入れをした。やがて、生長 した柿の木に実がなると、猿は親切ごかしに木にのぼり、自分は甘そうな柿を食い、蟹に渋い柿を投げつけて、殺してしまう。蟹の子は憤慨して、臼、杵、蜂、 栗などの助力を得て親の恨みを晴らした、という筋のもの。

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(1丁裏-2丁表、浦島太郎と乙姫)

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(3丁表、亀に乗っている浦島太郎)(4丁裏、猿と平家蟹)

雑説 通世界二代浦嶌

2巻2冊10丁 飛田琴太作 古阿三蝶画 伊勢治板 天明4年(1784年) 龍王に歓待されて不背の珠を難なく持ち帰った海女と、帝の勧めがあって夫婦となった淡海公は、浦島太郎と初代乙姫の間に生まれた一子浦吉を返礼の使者として龍宮へ遣わすところ、父とは異なり浦吉は二代目乙姫に振り付けられて帰り、子のない淡海公夫婦の養子となる。  →根南志具佐の作者の平賀源内が唐突に登場し、狂言回しに徹させるわけでもなく途中から立ち消えになるなどがみられる。

・根南志具佐(根無草)
談義本。五巻五冊。天竺浪人(平賀源内)作。宝暦一三年(一七六三)刊。市村座出勤の女形荻野八重桐の隅田川での溺死事件をモデルに、地獄めぐりの趣向をとり入れ、当時の遊里や芝居のさまを中心に描写して世相をうがち、時に風刺した作品。


京鹿子江戸紫 其跡幕婆道成寺

3巻3冊(袋入3巻・1冊)15丁 式亭三馬作 [歌川豊国画] 四宮板 寛政10年(1798年) 二度目に竜宮を訪ねた浦島太郎と乙姫の間に子供が出来、二人はその子を蛤に預ける。その蛤が深川の蛤町辺に住むまなごの庄司夫婦は清姫と名付け養育するが娘らしいところはどこにもなく、口やかましいだけの老婆の清姫をもてあます様子を見た浦島と乙姫は、若返りの宝物あら玉手箱を授ける。今は若い娘となった清姫を、山伏の安珍が見染め二人は相愛の仲となる。ところが、蛤を食べると元に戻ると浦島に云い置かれたこと忘れた清姫は、蛤を食べて元の老婆に戻る。愛想をつかして逃げる安珍、追う清姫、例の如く釣鐘に身を隠す、安珍に清姫は娘道成寺を踊って釣鐘へ巻き付くところで乙姫が現れ二人を諭す。

「二度目に竜宮を訪ねた」という設定から、さらに「二度目の龍宮」からの後日談としての位置づけることができるのではないだろうか。

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(3裏-4表、浦島太郎と乙姫、蛤)

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(6表、庄司夫婦と老婆姿の姫)


【まとめ】

 「浦島太郎」は、物語の展開が変わるほどの違いはなく、ちょっとした設定だけが変わっていて、「二度目の龍宮」では従来の「姫は亀の化身」という設定と違った「亀と乙姫が別人物」だという設定が見られ、この設定は「御伽草子」ではなく、神奈川の浦島伝説からのモチーフを得たのではないかと思われる。さらに、「浦島太郎の後日譚」に当てはまる作品の一つである「亀屋万年浦嶌栄」や「猿蟹遠昔噺」でも、このような「亀と乙姫が別人物」という設定が見られる。

 また、「浦島太郎の後日譚」といわれている作品は「二度目の龍宮」以降書かれたことや、「其跡幕婆道成寺」のような、後日譚の後日譚といった作品も書かれたということから、「二度目の龍宮」は当時多くの人々に読まれ、以降の「浦島太郎」の細かい設定などにまで影響を与えた作品ではないだろうかと思われる。

【参考文献】

・日本古典籍総合目録データベース

<http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/about.html>(2013/5/29アクセス)

・『中世王朝物語・御伽草子辞典』神田龍身・西沢正史編 勉誠出版 2002年5月

・「横浜市 神奈川区 神奈川区役所ホームページ 神奈川区の歴史」

<http://www.city.yokohama.lg.jp/kanagawa/kusei/profile/rekishi/> (2013/5/29アクセス)

・鳥居フミ子「中世説話と古浄瑠璃: 古浄瑠璃 「浦島太郎」 の場合」『實踐國文學』5, 27-34, 実践女子大学.

・『黄表紙總覽』棚橋正博 青裳堂書店 1986年

・「源平コラム-平家蟹と小平家-」

http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/kanko/genpei/colum/heikegani.html(2013/5/29アクセス)

・JapanKnowledge (『日本国語大辞典 第二版』小学館 /『国史大辞典』吉川弘文館)(2013/5/27アクセス)

・立命館大学 アートリサーチセンター <http://www.arc.ritsumei.ac.jp/index.html> (2013/5/27アクセス)