橘逸勢

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たちばなはやなり


画題

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解説

東洋画題綜覧

橘清友の子、延暦の末、遣唐使に従つて入唐した、唐人呼んで橘秀才というた、承和七年但馬権守となる、此時に当り仁明天皇は淳和天皇の皇子恒貞親王を皇太子に立て給うたが叡慮之を欲し給はず、藤原氏また自族の出でないので太子の位置甚だ不安であつた、春宮帯刀伴建岑、私に逸勢と謀り太子を奉じて将に事を挙げやうとしたが、謀洩れて捕はれた、逸勢鞠問さるゝと雖も罪に伏さなかつたので強て姓を非人と改め、死を減じて伊豆に流されたが、途中遠江板築駅で死す、仁寿三年従四位を追贈された、隷書を善くし宮門の傍題は多くその手に成つた。  (大日本史)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


さんぴつ「三筆」の項を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)