文殊師利

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もんじゅしり


画題

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解説

東洋画題綜覧

大乗の菩薩、或は普賢菩薩と共に釈迦牟尼仏の挟侍たり、また曼殊宝利、濡首に作り、妙吉祥、妙徳等と訳す、字して法王子(童真)とす、阿弥陀経通賛疏巻上に依るに、此菩薩は衆生に楽を与へる、是れ北方常喜世界の歓喜蔵摩尼宝積仏にして、名を聞かば能く四重等の罪を滅す、又生時十種の吉祥事ありとし過去に竜種上尊王仏たりしといふ、或は華厳経巻二九の菩薩住処品の意によつて、支那山西省の清涼山五台山)に一万の菩薩と倶に住すと称せらる、五台山は斯く文殊菩薩応現の霊地として広く知られ、其の真容を拝せんと欲して遥かに印度より此地に来るもの少からず、我国の円仁、成尋等亦此地に赴いたといふ、或は文殊は多羅聚落の梵徳婆羅門の家に生れ出家して道を学び首楞厳三昧に住すとし、或は其身相は紫金山の如く、宝冠は毘楞伽宝の厳飾する所にして、五百種色あり、一々色中に日月星星ある諸天竜宮世間の衆生の希に見る所、皆中に於て現ずといふ、大乗本生心地観経巻二に、出間出世間に三種僧ありて、文殊師利及び弥勒は是れ菩薩僧なりと云ふので僧形の文殊があり、禅宗の僧堂に安置するは僧形の文殊である、是れ唐の大暦四年不空三蔵奏請して天下の食堂中に、文殊菩薩の形像を置きて上座とし、賓頭盧に代へたのに始まる、最澄の顕戒論に依ると、仏寺に二座を置く、一に一向大乗寺に文殊師利を置いて以て上座とし、二に一向小乗寺に賓頭盧を置いて以て上座とすとし、又、梵網経古述記を引いて西域に亦此制ありといふ。或は法顕伝摩頭羅国の条に摩訶衍人は般若波羅蜜、文殊師利観世音を供養すと記せるを指すのであらうか、蓋し是れ文殊は大乗摩訶衍蔵の結集たるに依るものである。

形像は種類多いが、多く行はるゝものは五字文殊で、頂髪を五髻とし、五智宝冠を戴き右手に智剣を持し、左手に青蓮華を執り、華上に般若経を置く、即ち五字陀羅尼頌の所説である、又八字文殊軌に依つて或は師子王の座を用ふ、童形又は渡海の相をなしたものもある、眷族には老翁及び童子があり、老翁は唐の高宗の頃、西国より仏陀波利が来て、五台山思量嶺に於て文殊を礼した時、老人の相をなしてゐたのに由来する、宋高僧伝巻二十三には唐五台山善住閣院で、無染の感見をしたことを記してゐる、密教では胎蔵界曼荼羅中台八葉院の東南葉上並に文殊院の中央に位し金剛界曼荼羅では賢劫十六尊中に図す、別に真言によつて一字文殊、五字文殊、六字文殊、八字文殊の区別があり、形像は中台院の像は黄金色髪髻冠で、右手に梵篋を持し、左手に三股杵を立てた青蓮華を持す、文殊院の分は鬱金色髪を五髻にし、左手に三股杵を有する青蓮華を執り、右手を施無畏印とす。

文殊師利を画いた作の主なるもの左の通り

伝呉道子筆       京都東福寺蔵

伝巨勢金岡筆(国宝)  同 高山寺蔵

筆者不明  (同)   奈良西大寺蔵

同     (同)    近江延暦寺蔵

伝李竜眠筆 (同)   京都市南禅寺蔵

筆者不明 (同)   高野山宝寿院蔵

慧龐筆         東京帝室博物館蔵

兆殿司筆        郷男爵家旧蔵

雪舟筆         川崎男爵家旧蔵

宅磨栄賀筆       紀州徳川家旧蔵

雪村筆         京都大法院蔵

土佐長隆筆       小泉三申氏旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)