張儀

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ちょうぎ


画題

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解説

画題辞典

張儀、支那春秋戦国に出て、連衡の主動者となりし人なり、魏の人蘇秦と共に鬼谷先生に學び諸侯に遊説す、時に蘇秦趙王に説きて合従を約し声望あり、儀が妻愠って語あり、儀曰く吾が舌を視よ尚ほ在りや否やと、感憤して秦に入り、遂に秦に相となり、齊魏の相と会し、亦秦の為めに出でて魏に相たり、秦魏隙を構ふるに及び、終に秦軍を導きて魏を破り、帰りて秦に相となること三年、更に楚に往き韓に説き、齊趙燕に遊説し、従約を破りて、連衡を成立す、秦の武王位に即くに及び、兼ねて快よからざりしより、讒に会ひ魏に往きて魏に卒す。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那周末、魏の人蘇秦と共に、蘇秦が合従の策を立て活躍したのに対し、連衡の説を唱へて秦の為めに策し、遂に斉、楚、燕、趙、魏、韓の六国を説いて秦と和せしめ、後、相となつて死した。

張儀魏人也、与蘇秦同師、嘗遊楚、為楚相所辱、妻愠有語、儀曰、『視吾舌、尚在否』、蘇秦約従時、激儀使入秦、儀曰『蘇君之時何敢言』、蘇秦去趙、而従解、俵専為横、連六国以事秦。  (十八史略)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)