蘇秦

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そしん


画題

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解説

画題辞典

蘇秦、支那春秋戦国の世に出でたる遊説の士なり、東周雍陽の人、齊の鬼谷先生に學び、諸国に出遊する歳あり、困窮して郷に帰る、家人皆嘲り、妻は為めに機を下らず嫂は為めに炊かず、是に於て感奮室を閉ぢて出でず、専ら讀書し太公望秘訣の書を読み、燕に行き文侯に合従を説き、用いられて趙に赴き、更に韓魏齊楚に遊説し、六国従親の約を結び六国に併せ相となり、依りて趙に帰り武安君に封ぜられ徒約の書を秦に投ず、已にして従約解かれて齊に走り、宣王の客卿となり、更に湣王に仕へしが遂に刺客の殺す所となる、張儀と並び称せらる、初めその妻機を下らざるの図、明の謝時臣画く所岩崎男爵所蔵にあり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那周末の策士、雄弁と策略を以て聞ゆ、秦の恵王に遊説して容れられず六国合従に成功し其名を挙げたが、燕の文侯の歿後その夫人と通じた為め燕を去つて斉に入つたが斉の大夫の憎む処となつて遂に刺客の為めに仆れた。

洛陽人蘇秦、遊説秦恵王不用、乃往説燕文侯与趙従親、燕資之以至趙、説粛侯曰、「諸侯之卒十倍於秦、并力西向、秦必破矣、為大王計、莫若六国従親、以擯秦、粛侯乃資之、以約諸侯、蘇秦以鄙諺説諸侯曰、「寧為鶏口無為牛後。」於是従合。  (十八史略)

その若い時に苦しんで家に帰つても、妻は機を下らず嫂は為に炊がず侮蔑したと、亦有名である。

さいはたをくだらず「妻不降機」(妻不下機)の項参照。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)