屋島合戦

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やしまかっせん


画題

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解説

(分類:武者)

画題辞典

屋島合戦には源平合戦の大なるものゝ一なり、地は讃岐にあり、平家の一の谷に敗るゝや、安徳天皇を奉じて此地に逃れ來り、屋島に城く、文治二年二月十六日、源義経京都を発し、風雨を冒して寡兵を提げて阿波に上陸し、十九日辰の刻、火を牟禮高松の民家に放ちて先づ平軍を脅かす。平軍狼狽、宗盛等主上女院を奉じて海に浮ぶ、義経の軍行在を火き、宮門の前に陣し、海上の平軍と戦ひ、薄暮に及ぶ平軍後に■源氏の兵寡きを知りて大に悔え、屢々上陸恢復を企てしも已に機を失し、遂に去りて九州に赴かんとして果さず、長門壇の浦に漂泊す、此戦に於て義経の馬前に立ちて佐藤継信の戦死せしは最も史上に名高きことなり、その他那須の與市の扇の的、義経弓流し、景清錣引など、皆この戦にありしことなり、各その條を見るべし、本合戦を画きしもの、源平合戦として甚だ多し、東京帝室博物館には伝土佐光起筆屋島合戦の屏風あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

讃岐国屋島に於ける源平両軍の合戦、初め平氏は一ノ谷の合戦に大敗し、宗盛以下、安徳天皇を奉じて海に遁れ屋島に拠り内裏を造つて奉安し、平知盛は九州に赴き豊前の門司を固めた、源氏の軍は範頼九州に、義経は四国に向ふ、文治二年二月十六日義経の軍京師を発し、摂津渡部の津より大暴風雨を冒して軍船五艘を発し直ちに阿波の勝浦に着し屋島に向ふ軍勢僅に百五十騎、十九日屋島に到り内裏の前方牟礼高松の民家に火を放つ、こゝに源平の合戦は開かれ、平家の一門、主上女院を奉じて海に泛ぶ、那須与一扇の的、義経弓流し、佐藤継信の戦死、知盛船掃除など皆此の合戦の中である。

みなもとのよしつね「源義経」の項を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)