小康法師

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しょうこうほうし


画題

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解説

東洋画題綜覧

支那の念仏宗の高僧、縉雲の周氏、母は羅氏といふ、七歳の時、父母捨てゝ出家せしむ、十五歳の時、法華楞厳等の五部を誦んじ、尋で会稽の嘉祥寺に往き律部を学究し、後に、上元の竜興寺に詣り華厳瑜伽の諸論を聴く、唐の貞元の初年、洛下の白馬寺に至り殿中の文籍を採り、善導(善導大師)の西方化導の文を得、歎じて曰く、劫石も磨すべし、我願くは易ふるなけんと、遂に長安の光明寺和尚の影堂に至り、大に薦献を陳ぶ、南江陵に適き既にして新定に入り、銭を乞うて小児を誘つて曰く阿弥陀仏はこれ汝が導師である、念仏一声すれば汝に一銭を与へんと、児、声に随つて念仏す、月余にして児童の念仏して銭を乞ふもの極めて多い、法師曰く、能く念仏十声するものに一銭を与へやうと、かくすること一年、老幼貴賎の別なく法師を見るもの、みな阿弥陀仏を唱へ、念仏の声は至る処に満ち/\た、十年鳥竜山に浄土の道場を建て、壇を築くこと三級、衆を集めて行道す、少康毎に座に上つて高声に仏を唱ふれば、一仏の口から出るのを見る連唱十声すれば十仏現はると、二十一年十月三日道俗に謂て曰く浄土に於て忻楽の心を起し、閻浮提に於て厭離の心を起すべし、汝、此の時能く光明を見れば即ち我が弟子であると、光明を放つて入寂した、郡人為に塔を台岩に建つ。

浄土五祖の一人西金居士の筆といふものがある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)