吉野天人

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よしのてんにん


画題

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解説

東洋画題綜覧

吉野の花見に行つて、天人舞楽を見ることを作つた、昔天武天皇の吉野に在しける時、天人降り来つて舞を舞ふたといふ故事によつて勝手社の上に袖振山といふ山の名が残り朝廷では十一月の御儀式となつた五節舞姫も始つたので、それらを取合せたものといふ。安清の作で、前シテは里の女、後シテ天人、ワキ都人である。一節を引く。

「如何に申すべき事の候ふ、かやうに家路を忘れ花を詠め給ふ事、いよ/\不審にこそ候へ、「実に御不審は御理〈ことはり〉、今は何をか包むべき、誠は我は天人なるが、花に引かれて来りたり、今宵はここに旅居して、信心を致し給ふならば、其いにしへの五節の舞、小忌の衣の羽袖をかへし、月の夜遊を見せ申さん、暫くここに待ち給へと、「夕ばえ匂ふ花の陰、月の夜遊を待ち給へ、少女の姿顕はして必ずここに来らんと、迦陵頻伽の声ばかり雲は残りて失せにけり。

能画として極めて美しい場面なのでよく画かれる。      

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)