五節舞

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

ごせちのまひ


画題

画像(Open)


解説

画題辞典

五節舞は大嘗会新嘗会等の際に行わるゝ童女の舞なり。豫め上卿諸国司公卿等の女子あるものに命じ、舞姫を献ぜしむ、之を五飾定という。毎年十一月中の丑の日 常寧殿にて天皇御覧あり(新嘗祭には四人、大嘗祭には五人なり)帳台に出御、殿上人とも脂燭に侍らふ、主上御直衣指貫にて御杳召さる。天皇の指貫召さるゝは此時に限ることなりという。乱舞あり、又大歌小歌などあり、寅の日淵酔あリ、朗詠今様など歌い、三献はてゝ乱舞あり。今上御即位の際には古式を参照して新規を加え行われたり、

住吉広通屏風(東京帝室博物館蔵)あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

少女の舞ふ舞の名、昔は常にも行はれたが、後には専ら大嘗祭の舞となつた、その少女を舞姫といふ、五人で二人は公卿の女、二人は国司の女、共に未婚の者を採ることになつてゐる、そして、選定するを五節定めといひ、先づ五節の丑の日に主上五節所、即ち常寧殿の大師局に出御、五人の舞姫を御覧ある、これを帳台の試みといひ、寅の日に舞姫を清涼殿の庇に召されて御覧あるを御前の試みと云ひ、斯くて辰の日の豊明節会に正式の五節の舞を奏するのである。

五節の舞と云事あり、むかし神武天皇大和のよしの川に行幸ありて、御心を澄し琴をしらべ給ひしかば、神女空より下りて

をとめどもをとめさびすもから玉をたもとにまかしをとめさびすも

と五度諷ひて、五度袖をひるがへす、五人の仙女謡ふふし異なる故に、五節と名付けられたり、此例にて毎年十一月の上か下か丑の日に此舞あり、僧正遍昭の『あまつ風雲のかよひ路ふきとぢよ』の歌は、此舞人を読めるなり、さて右の舞人をはやすには、白薄様しゆせんじの紙巻上げの筆、巴かきたる筆の軸やとはやすことなり、この意は仙女の衣の薄くすき通りうつくしき様は、薄様紙に似たり、舞の袖をひるがへすに、簪よりうへは片かた巻上げたる貌は、糸をもて巻きたる如く、また巴をかきたる筆の軸を差上たる如く也と云ふ事なり。  (理斎随筆)

五節舞は美しい画となるので、大和絵の好画題である。

住吉広通筆五節舞屏風  帝室博物館蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)