二河白道

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にがびゃくどう


画題

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解説

画題辞典

二河白道は仏説にて信心守護の譬喩なり、人あり西に向ひて進めるに、忽ちにして、南に火の河、北に水の河の相逼れるに会ふ、而して其両河の間僅に幅四五寸の白道あるのみ、水火両方より交々至り、更に後より群賊悪獣の迫るあり、進退谷まる、唯白道を一直線に西に突進せんあるのみ、其時東岸声あり、汝此道を進め、死の難を免れんと、西岸亦声あり、汝正念一心して来れと、この人遅疑なく直に進み、無事西岸に著し、永く諸難を免れて善友と樂しく暮すを得たりと、実に火の河は衆生の瞋憎、水の河は衆生の貪愛、●白道は往生を願ふ清浄の信心、後より至る群賊悪獣は衆生の六根六識六塵五陰四大及別解別行悪見の人、東岸の声は裟婆に於ける釈尊の教、西岸の人は極楽浄土に於ける弥陀仏を喩へたるものなり、衆生説教の為此絵を画かれたるもの藤原鎌倉両期に多し。

石見万福寺所蔵国宝一点、京都光明寺所蔵伝源信筆国宝一点、京都清涼寺所蔵土佐光信筆一点、御影村山龍平氏所蔵一点

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

二河とは水河火河をいふ、貪欲と瞋恚とを水河火河に譬へたのを『二河喩』といふ、蓋し貪欲の執着深きは水の湿潤なるが如く、瞋恚の粗烈なのは火の炎々たる如く、何れも人を害すること甚だし、故に『涅槃経』及び『大智度論』等には、貪欲、瞋恚の二を水火二河に譬へてゐる、また善導大師の『親経散善義』には有名な『二河白道』の譬がある、其の大意に曰く

譬如有人欲向西行、百千之里忽然中路見有二河、一是火河在南、二是水河在北、二河各闊百歩、各深無底、南北無辺正水火中間有一白道、可闊四五寸許、此道従東岸至西岸、亦長百歩、其水波浪過湿道、其大焔亦来焼道、水火相交、常無休息(下略)

と、所謂二河は迷界の此岸より、極楽の彼岸に至る現生の実態を形容したもの、白道は清浄なる信心、即ち阿弥陀仏の信仰を喩示したものである。  (仏教辞林)

「法に依る道ぞと作る舟橋は、後の世かくる頼みかな、「往事渺茫として何事も見残す夢の浮橋に、「猶数添へて舟ぎほふ、堀江の川の水際に、寄るべ定めぬあだ波の浮世に帰る六つの道、遁れかねたる心かな、「恋しき物をいにしへの、跡はる/゙\と思ひやる、前の世の報いのまゝに生まれ来て心にかけばとても身の、生死の海を渡るべき、般橋をつくらばや、二河の流れはありながら、科は十の道遠し、誠の橋を渡さばや。  (謡曲船橋)

二河白道の比喩は古来衆生説教のためとて画かれたものも多い、左の諸点有名である。

筆者不明  国宝    石見万福寺蔵

伝源信筆 国宝  京都粟生光明寺蔵

筆者不詳  (重美)  前田青邨氏蔵

土佐光信筆       京都清涼寺蔵

吉川霊華筆       池田金太郎氏蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)