本作には、当時の出版界の検印である名主印が二つあることから、弘化4年から嘉永5年の間の製作と判断できるが、天保改革時に豪奢な生活が咎められ江戸から追放されていた〈5〉市川海老蔵が江戸へ戻るのは嘉永3年3月であり、また、同5年11月の興行を最後に再び江戸の地を離れるので、製作年代はこの期間と推測できる。ただ該当する興行が見あたらないため、見立絵の可能性が高い。八犬伝に登場する道節は印を結んでおり、同じ八犬伝物で円塚山の段を描いたUY0005・0006の直後の場面、つまり忍びの秘術を使って荘助をやりすごす場面を描いたとものと思われる。
なお、早大演劇博物館に「義勇八犬伝」シリーズで〈1〉坂東しうかの犬坂毛乃を描いたもの(参考図005-0527)があり。〈1〉坂東しうかは嘉永5年1月市村座「里見八犬伝」で毛乃を演じている。 |