D0 渡辺綱と境界.

 渡辺綱(935~1025)は、実在の人物で武蔵国(現在の東京都、埼玉県、神奈川県)に生まれ、のちに摂津国(現在の大阪府)に移住、源頼光の郎党として活躍した。頼光に仕える契機は、頼光の本拠も摂津にあったためかと考えられている。綱も頼光四天王の一人として、頼光に付き従い、多くの伝説で活躍した。
 彼が活躍した主な伝説として『平家物語』剣之巻の鬼女退治伝説、大江山での鬼退治伝説の二つがある。『平家物語』では京の一条戻橋の美女の姿に化けた鬼に遭遇し、その片腕を切り落とした。大江山伝説では源頼光、藤原保昌と頼光四天王と共に大江山へと向かい酒呑童子とその眷属を退治した。また、後年ではこの二つの伝説が関連づけられ能『羅生門』などの作品が誕生した。
 彼の活躍する伝説の舞台の多くは古くから境界と考えられていた場所が多い。一条戻橋は大内裏の鬼門の方角に位置していた。また一条大路という都の最北の通りにあったため、鬼門からやってくる鬼や疫病から都を守る要所であった。それは、大江山もまた然りである(→A2)。
 羅城門は朱雀大路の南端に位置していた。羅城門は洛中と洛外を区切る境界としての役割を持ち、ここでも都に侵入する鬼や疫病を防ぐための祭祀が度々行われていた。そのため羅城門は古くから境界の場としての認識が強く『江談抄』や『十訓抄』には羅城門に鬼が棲むという内容の説話が残されている。
 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺・雨』(安永10年(1781))の中の一枚「羅城門鬼」では、羅城門の柱に絡みつく鬼の横には「都良香らせうもんを過て一句を吟じて曰、気霽風梳新柳髪と その時鬼神一句をつぎていはく、氷消波洗旧苔鬚と 渡辺綱がために腕をきられ、からきめ見たるもこの鬼神にや」と記される。これは『江談抄』にある平安時代の貴族・文人である都良香が羅城門の下を通り過ぎる際に「気霽風梳新柳髪」と漢詩の上の句を詠んだところ、羅城門に棲む鬼が「氷消波洗旧苔鬚」と下の句をつけて返したという説話に基づいている。また、本書が書かれた当時は本来関係の無かった羅城門に棲む鬼の伝説と、渡辺綱が鬼と対峙しその腕を切り落としたという伝説が同一化して知られていたことが確認できる。(菅).
【参考図】
『今昔百鬼拾遺・雨』「羅城門鬼」(メトロポリタン美術館・MET-2013_803)