野宮

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ののみや


画題

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解説

画題辞典

一。歴代天皇、皇女或は女王の嫁せざるものを卜し、之を伊勢大神宮に遣はして奉仕せしむるを斎宮という、皇女斎官に立てば、先づ宮城内の便所に移る、之を斎院といふ、其後更に地を城外に卜し簡素の新宮を作る、之を野宮という、斎王禊の後、野の宮に入り、朝日毎に木綿鬘を著け、斎殿に入り、大神宮を迎拝し潔斎三年に及ぶ、然る後伊勢に下向するを法となす、野の宮の遺趾、洛北嵯峨にあり、黒木の鳥居、小柴垣、簡朴なる宮居の趣今に存す、

第四回院展に速水御舟画きし所是なり。

二。謡曲にして源氏物の一なり、源氏物語榊巷にあることを取りたるなり、さても六条の御息所に一人の御姫宮を持ちて後家住みしけるを、かねて光源氏の君通ひ玉ひぬ、さるを源氏の室葵の上には之を嫉ましく思い、去る年賀茂の祭に物見車の位置を争ひて下人ともをして散々に御息所を辱しめたり、謂ゆる車争なり、さればかねての嫉妬心にこの恨みまで加はりて御息所の生霊に葵の上を悩まし、遂に之を取り殺すに至りぬ、源氏はさりとはあまりの事なりと、それより御息所を疎ましく思ふやうにはなりたり、其の頃御息所の御姫宮には斎宮に立たせ玉ひて伊勢に下り給ふことゝなりたれば、御身も付き添へて共共に先づ野の宮に籠り坐しぬ、そを源氏の君訪ひ給ひて榊の枝に文結びつけ、御垣の内に投げ入れ給ふということを、謡曲には幽霊の物語とし旅僧を相手に数々の怨みありしが、遂に僧の回向にて成仏することを作りなしたり、

岩佐勝以画く所(保坂氏所蔵)にあり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

(一)野宮は京都嵯峨の一名所、伊勢の斎宮に立たせ給ふ内親王は此処に三年ばかり過させ給うて潔斎したまふとなり、竹林をめぐらした閑かなところである。

野宮は小倉山の巽なる薮の中にあり、悠紀主基の両宮ありて、神明を祭る、黒木の鳥居小芝牆はいにしへの遺風なり、伊勢大神宮に立せ給ふ内親王、此所に三とせばかり住給ひて祓潔し給ふ、斎宮のはじめは、垂仁天皇の御宇皇女倭姫命なり、野の宮の別れとは、例によつて九月上旬吉日を卜定して伊勢大神宮へ向ひ給ふとなり、後鳥羽院の御宇に此事絶えぬ。  (都名所図会四)

  野宮に斎宮の庚申し侍りけるに松風入夜琴といふ題をよみける

琴の音に峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべ初めけん       斎宮女御

松風の音にみだるゝ琴のねをひけば子の日のここちこそすれ  (拾遺) 同

  雪のあした野の宮にて

榊さす柴のかきほのかず/\に猶かけそふる雪の白ゆふ    (続古今)入道前太政大臣

  野宮より出給ふとて

すゞか河八十瀬の波は分けもせで渡らぬ袖のぬるゝ頃かな        契子内親王

野宮を画くもの単にその風景を描くもあり、斎宮潔斎を図するあり。

富岡鉄斎筆           坂本光浄氏蔵

速水御舟筆           第四回院展出品

広島晃甫筆  『秋の野々宮』  第一回帝展出品

(二)『源氏物語』榊の巻から取つた謡曲の名、六条の御息所は一人の姫を持つて後家住みしてゐる処へ光源氏の君通ひ給うた、然るに源氏の室葵上は左大臣の女で、勢も強かつたので或る年賀茂の祭見物に出て、御息所の車を見散々に恥しめる、(「車争」の項参照)そこでかねての嫉妬心のある上に、此の恨みが重つて御息所の生霊が葵上を悩まし遂にこれを取殺す、源氏の君あまりの事に覚えて、それからは御中もかれ/゙\となつたが、其のころ姫の斎宮に立たれて伊勢の国に下らんとし給ふに御息所も附添ひ行かうと野宮に参籠せらるゝ処を源氏の君が訪れる、そしてこれを幽霊の物語にして僧を対手に語る仕組みであり、前シテが女、後シテが六条御息所、ワキは僧となつてゐる。その一節

「野の宮の秋の千草の花車、われも昔にめぐり来にけり、「ふしぎやな、月のひかりも幽なる、車の音の近づく方を、見れば網代の下すだれ、思ひわけざる有様なり、いかさま疑ふ所もなく、御息所にてましますか、さもあれ如何なる車やらん、「いかなる車と問はせ給へば、思ひ出でたり其昔、加茂の祭の車あらそひ、主は誰とも白露の「所せきまでたてならぶる、「物見車のさまざまに殊に時めく葵の上の御車とて人を払ひ立ちさわぎたる其なかに「身は小車のやる方もなしと答へて立て置きたる、「車の前後に、「ばつとよりて人々轅に取りつきつゝ、ひとだまひの奥に押しやられて、物見車の力もなき、身のほどぞ思ひ知られたる、よしやと思へば何事も、報いの罪によも洩れじ、身はなほ牛の小車の、めぐり/\来ていつまでぞ、妄執を晴らし給へや、「昔を思ふ花の袖、「月にとかへす気色かな、「野の宮の月も昔や思ふらん。  (謡曲野宮)

源氏物語』榊の巻の『野宮』の一節を引く。

院の上おどろ/\しき御悩にはあらで、例ならず時々悩ませ給へば、いとど御心の暇なけれど、つらきものに思ひはて給ひなんもいとほしく、人きき情なりやと思し起して野宮にまうでたまふ、九月七日ばかりなれば、無下に今日明日とおぼすに、女方も心あわたゞしけれど、立ちながらと度々御消息ありければ、いでやとは思し煩ひながら、いとあまりうもれいたきを、物越ばかりの対面はと、人知れず待ち聞え給ひけり遥けき野辺を分け入り給ふより、いと物あはれなり、秋の花皆衰へつゝ、浅茅が原もかれ/゙\なる虫の音に、松風すごく吹き合せて、そのことゝも聞き分れぬ程に、物の音とも絶え/\聞えたる、いと艶なり、むつましき御前十余人ばかり御随身こと/゙\しも姿ならでいたう忍び給へれど、殊に引き繕ひ給へる御用意、いとめでたく見え給へば御供なる好色者ども、所からさへ身にしみて思へり、御心にもなどて今まで立ちならさざりつらんと、過ぎぬる方悔しう思さる、物はかなげなる小柴を大垣にて板屋どもあたり/\、いとかりそめなんめり、黒木の華表どもは、さすがにかう/゙\しく見え渡されて、煩はしき気色なるに、神官の者ども此処彼処にうちしはふきておのがどち、物言ひたるけはひなども外にはさま変りて見ゆ。(下略)

これを画いたものに、岩佐勝以の作がある。(平尾賛平氏蔵)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)