嵯峨

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さが


画題

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解説

東洋画題綜覧

京洛の名勝、古来秋草、虫聞き等を以て聞え、小督横笛等の物語等でも有名である、『都名所図会』に曰く

嵯峨野は大覚寺、清涼寺のほとりを北嵯峨といひ、天竜寺法輸寺の辺を下嵯峨となづく、野々宮はその中途なり、いにしへより閑静の地にして、故人も多くこゝにかくれ秀咏の和歌数ふるに遑なし、源順も此地に遊んで紫藤の賦を作り、楼台空しく僧侶の室となりぬるを歎きしは、文粋にのせけり、こゝは旧野山とも田猟の地にして、嵯峨帝始めて御狩ありてより、文徳清和陽成の三帝はおこたらせ給ひしが、光孝帝かさねて興し給ひ御幸なりぬ、あるひは此野へ官人を遣はされて、松虫鈴虫などをとらせ給ふに、其とき野に虫屋を造り、音よき虫を撰みて奉りけり、嵯峨帝は無双の御能書にして、日本三筆の第一なり、又詩文にも達し給ふ事は文華秀麗に見えたり、御位を淳和帝に譲らせ給ひて、これなる離宮にかくれ嵐嶺の白桜、亀緒の落月に、叡慮を慰めたまふ、かの世捨人は、此野の女郎花のうつくしきを手折とて馬より落てよめる。

名にめでておれるばかりぞ女郎花我落ちにきと人に語るな  僧正遍昭

かり人の草分衣ほしもあへず秋のさが野の四方の白露    順徳院

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)