誓願寺

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せいがんじ


画題

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解説

画題辞典

誓願寺は浄土宗の名刹にして、京都櫻之町にあり、舒明天皇の朝、僧恵隠の開基にして、初め奈良に起されたるものなり、次いで天智天皇の勅願寺となり、誓願寺となしたるものなりという、建暦年間京都に移され、今の元誓願寺通の所に建設せらる、後蔵俊僧正の時、法然上人の法徳に帰入し、三論宗を改めて浄土宗となすという、今の地に移されたるは太閣秀吉の時にして、其時側室松丸殿京極氏大に堂塔を起すという、其後数回の火災に罹り堂塔廃る、

誓願寺縁起二巻、即ち本寺興隆の縁起を画きしものにして、一は伝土佐光信筆、一は海北友雪の筆、共に国宝なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

(一)京名所の一、浄土宗西山派の本山で京都新京極にある、もと天智天皇の勅願で奈良に建立された寺、開山は恵隠和尚、宗旨は三論宗であつたが延暦年中、山城の深草に遷し、後、京都の元誓願寺通小川の西に移し、天正年中今の地に遷つた、蔵俊和尚の時浄土宗に改め、法然上人を祖とし慶長年中豊臣秀吉の妾松丸殿再興したが、元治の兵燹で烏有となつたのを、近年また再興した、今の本尊阿弥陀如来は、もと八幡にあつたものである、旧境内は維新後道路を開いて新京極となつた宝物に国宝、『誓願寺縁起』其他がある。京名所として時に画かれる。

(二)能楽の曲名、元清の作、一遍上人が熊野権現の示現により誓願寺で御札を広めらるゝ時、和泉式部の霊あらはれて、誓願寺といふ額を取のけ上人の手で六字の名号に改めたまへといふ。上人その言葉の如くすると、忽ち異香薫じて花降り音楽の声するよと見る間に、式部の霊は歌舞の菩薩となつて誓願寺の縁起を説く、前シテ里女、後シテ和泉式部、ワキ一遍上人、処は京都。

「いかに申し候ふ、誓願寺と打ちたる額をかけ上人の御手跡にて、六字の名号になして賜はり候へ、「是は不思議なる事を承り候ふ物かな、昔より誓願寺と打ちたる額をのけ六字の名号になすべき事思ひのよらぬ事にて候ふ、「いや是も御本尊の御告と思し召せ、「そも御本尊の御告とは、御身は何処に住む人ぞ、「妾が、住家はあの石塔にて候ふ、「不思議やな、あの石塔は、和泉式部の御墓とこそ聞きつるに、御住家とは不審なり、「さのみな不審し給ひそよ、我も昔は此寺に、値遇の有れば澄むみづの、春にも秋や通ふらし、「結ぶ泉の自らが、名を流さんも恥づかしや、よしそれとても上人よ、わが偽りは亡き跡に和泉式部は我ぞとて、石塔の石の火の、光りと共に失せにけり。  (謡曲誓願寺)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)