蝉丸

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蝉丸(せみまる)

四番目物・狂女物

『今昔物語集』『平家物語』に出てくる蝉丸の説話に基づく。

あらすじ

 醍醐天皇の第四皇子として生まれた蝉丸の宮は幼い頃から盲目だった。帝は待臣の清貫に命じ、蝉丸を逢坂山に捨てて来させる。清貫はこれは蝉丸の前世の罪を償い、後世によい果報が来るようにとの帝の御慈悲なのだと言い聞かせ、剃髪させる。

 そこでは唯一の同情者博雅三位によって藁屋が作られ、蝉丸はその中で琵琶を弾いて暮らしていた。

 一方、蝉丸の姉宮である醍醐天皇の第三皇女の逆髪は、髪が逆さに立つ病があり、心が乱れさまよい歩いていると逢坂山にたどり着いた。どこからか琵琶の音が聞こえてくるので、音が聞こえる方へ進むと、そこには弟宮・蝉丸がいた。二人は手を取り合い、互いに不幸を嘆き悲しんだのち、いづこへともなく去ろうとする姉宮の後ろ姿を、蝉丸は見えぬ目で見送るのであった。

能絵 場面説明

 能の冒頭、ツレ蝉丸がワキ清貫とワキツレの輿舁に伴われ、鏡の間を出る場面を描いている。幕から見える見所では、多くの観客の目が演者の出を見つめている。橋掛かりに出て行く、張りつめた空気に支配された一幕をとらえている。

 鏡の間の屏風に仕切られた内には、作り物の小宮と花立木が見える。おそらく、この能の前後で使用されたものであろう。なお、本曲には作り物として藁屋が使用される。

 また、幕は通常の五色幕ではなく、亀甲の文様がついている。鏡の間には後見が控えており、演者の出を見守っているが、幕揚げをしているのが前髪の少年であるところも面白い。せみまる


画題

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解説

画題辞典

蝉丸は平安朝の時の人なり、敦実親王の雑色を勤め、親王が琵琶に長じ流泉啄木の曲を作り秘して伝へざりしを、窃に聞き覺えて弾ずるやうになりたりとなり、後隠者となり四方に流浪し、延喜の頃逢坂の関の辺に庵室を結び、時に無名と名づけし琵琶の名器を伝へ、之を弾じて自ら楽しむ、三位源博雅なるものあり、蝉丸に秘曲を得んと請うて允されず、夜に入り逢坂山に赴き、その庵側に窺ふこと三年、中秋月なく風凄き夜に当り、蝉丸始めて盤渉調を弾ず、博雅進んで名を通じ向来のことを陳ぶ、蝉丸感嘆して悉く秘曲を授くという、蝉丸又和歌を善くす、「これやこのゆくも帰るも別れては知るも知らぬ逢坂の関」の一首は百人一首にも入りて最も人口に膾炙せらる、

英一蝶の画(伊勢小津氏所蔵)あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

(一)平安朝の歌人、宇多帝の第八皇子敦実親王の雑色にして両目物を見ず和歌を善くしまた琵琶に妙であつた、其の曲に流泉啄木と名くるものがあり、殊に秘して常に弾ぜず、能くこれを聞き得たものが無い、嘗て逢坂山に隠棲して交を人と絶ち研鑚を加へたので、其技一層進んだ、時に三位源博雅といふものがあり、琵琶に秀でゝゐたが曽て未だ蝉丸の秘曲を得られぬのを恨み、若し蝉丸が世を去つては再び秘曲を伝ふるものがないことを憂ひ、窃かに之を得やうとして逢坂山に訪ねたが言葉を交へずに帰り、これから後、毎夕蝉丸の庵側に往き窺ひ聴くこと三年、然も一度も弾奏することがない、偶々中秋の月陰り、風の凄く吹くのに乗じ復た例に依り往て之を窺ふに、蝉丸忽ち盤渉調を弾じた、博雅その宿望の逹したことを喜んだが、未だその秘曲に及ばす、心中甚だ平ならぬものがあつた、蝉丸は弾じ終つて、粛然として曰く此の静夜将に思を共にする人は無いかと、博雅声に応じて出で、乃ち名を通じ具さに是までの次第を述べた、蝉丸感歎して遂に悉くその秘曲を授けたといふ、後選集に其歌を載す。

これやこの往くも帰るもわかれては知るもしらぬも逢坂の関。  (国史略)

この逸事を作曲したものに謡曲『蝉丸』があるが、今は廃曲となつて、世に行はれず、また能面の名に蝉丸あり。――其項(能面蝉丸)参照――

蝉丸の博雅に秘曲を授くる場面は大和絵の好画題としてよく描かるゝも、近いものでは梥本一洋に『蝉丸』の作がある、第八回帝展の出品である。

(二)のうめん「能面」を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


『蝉丸』のツレに用ひる、若くして盲ひつゝ品位ある面、時に『弱法師』に代用する。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)