秦武文

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はだの たけぶん


画題

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解説

(分類:武者)

前賢故実

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(『前賢故実』)

東洋画題綜覧

後醍醐天皇の一宮の随身、一宮土佐の畑に流され給ふた砌、都に残されし御息所の御身を気づかはせられ、武文に命じて御息所を迎はせ給ふ、武文命を奉じ御息所を一条堀川の御所に伺候したが門閉ぢて人の気色なく、嵯峨の奥深草の里に尋ね参らせ御息所に宮の御文を捧げ、扈従して土佐に向はんとする途中、松浦某に御息所を奪はれ、武文は奮戦し遂に腹掻切つて果てたが、その怨霊竜神となつて松浦の一族を悩ますこと、『太平記』巻十八にある、その御息所を尋ねる所が骨子となつてゐる。

彼方此方の御行末を尋ね行く程に、嵯峨の奥、深草の里に松の袖垣隙あらはなるに、蔦はへかゝりて池の姿もさびしく、汀の松の嵐も秋すさまじく吹しほりて誰棲みぬらんと見るも物うげなる宿の内に琵琶を弾ずる音しけり、怪しやと立ち留りて是を聞けば、紛るべくもなき御撥音なり、武文嬉しく思ひて、中々案内も申さず、築地のやぶれより内へ入りて中門の縁の前に畏れば、破れたる御簾のうちより遥に御覧ぜらるあれやとばかり御声幽かに聞えながら何とも仰出さるゝ事もなく女房達数多さゝめきあひて先づ泣声のみぞ聞えける、武文御使に罷り上り、是まで尋ね参り候ふと申しもあへず縁に手を打ち懸けてさめ/゙\と泣き居たり、やゝありて只此までと召あれば、武文御簾の前に跪き、雲井の外に想像進らするも堪へ忍び難き御事にて候へば如何にもして田舎へ御下り候へとの御使に参りて候ふとて御文捧げたり、急ぎ披き御覧ぜらるゝに実にも御思ひの切なる色さもこそと覚えて言の葉ごとに置く露の御袖に余るばかりなり。  (太平記)

此の情景を画いたものに、水野年方筆『秦武文』がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)