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うり


画題

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解説

東洋画題綜覧

蔬果類を総称して瓜といふ、何れも胡芦〈ゆふがお〉科に属する蔓性の一年生草本で、その大部分は食用に供されてゐる、胡瓜〈きうり〉、甜瓜〈まくはうり〉、越瓜〈しろうり〉、南瓜〈かほちや〉、西瓜、冬瓜など、此の外、胡芦〈ゆふがお〉は瓢箪として知られ、酒器となり、糸瓜はその糸状繊維は種々の用途に供せられる、芸術方面に多く現はれるのは、甜瓜最も多く、近頃はメロンが現はれて現代的に描写されて居り、次いで胡芦〈ゆふがお〉、糸瓜も俳画などに画かるゝ場合多く、南瓜、胡瓜も時々画材となる。

胡瓜は原産地は東印度で、西漢孝武帝の時に張騫によつて西域から齎らされたものといふ、これを輪切にすると、切口の水漿と種子の形状が三つ葵の形に見えるので、徳川の旗本がこれを忌み嫌つたといふ説もあり、同じやうな理由から京都八坂神社の氏子も食べなかつたといはれてゐる。

甜瓜は支那では香瓜、捻青瓜などと呼ぶ、その真桑と読むのは美濃国真桑村の産が聞えてゐる所から其名を独占してしまつた、原は中央亜細亜から阿弗利加に自生してゐたものである、日本には随分古くから渡来してゐたものと見えて『書紀』には既にこれが現はれてゐる。

南瓜は一名を『ぼうふら』と呼ぶ、『かぼちや』はカンボチヤがその原産とせられたからで、その転訛で、関東では『とうなす』と呼ぶ、形が面白く、甘味に富むので食用として喜ばれる。関東では内藤南瓜が有名であり、京都では鹿谷南瓜の名が聞え、九州では居留木南瓜が盛である。

越瓜は白瓜と呼ばれ、支那では羊角瓜、青瓜、竜蹄、女臂など種々の異名もある、日本では古く『あさうり』と呼ばれてゐた。

西瓜は阿弗利加の原産で、中世紀の頃阿弗利加探検隊に依つて発見され、欧洲に伝はり、一方中央亜細亜を経て印度に入り、更に支那から日本に渡来したもので、日本に渡来した時代に就いては『本朝世事綺談』に、

寛永年中、西瓜琉球より薩摩へわたる。

と記されてゐるのが一番広く行はれてゐる説であるが、古く芸阿弥には西瓜を画いた作がある、恐らく支那画から取つたものであらう、支那では徐崇嗣が既に西瓜を画にしてゐる。

さて瓜の名画としては、先づ李迪の『瓜虫図』が有名であり、その繊細にして然も雄勁な筆は後世に多くの範を垂れてゐる、また銭舜挙にも瓜虫図の名作があり、我が国では山田道安が瓜を以て有名であり、松花堂にも水墨の瀟洒な作があり、近くは土田麦僊に『瓜図』の力作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)