建礼門院

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けんれいもんいん


画題

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解説

東洋画題綜覧

高倉天皇の皇后、安徳天皇の御母、太政大臣平清盛の二女、承安元年十二月二日従三位に叙せられ同廿六日女御となり、同二年二月十日中宮と為り、養和元年十一月廿五日院号、寿永二年七月西海に赴き、元暦三年五月一日尼となり文治元年十二月十三日薨去、年五十九、山城国愛宕郡大原村西陵に葬み、その閑居に行ひすませらるゝ処に、後白河法皇の訪はせ給ふこと、世に『大原御幸』とて名高く、『平家物語』に詳かであり、謡曲にも作られてゐる。

女院は十五にて女御の宣旨を被下、十六にて后妃の位にそなはり、君王の側に候はせ給て朝には朝政を勧め、夜は夜を専としたまへり、二十二にて皇子御誕生有て皇太子に立ち位につかせ給しかば、院号を蒙らせ給て、建礼門院とぞ申ける、入道相国の御娘なる上、天子の国母にてましましければ、世の重く奉る事不斜、今年は二十九にぞならせ給ふ、桃李の御粧猶濃かに芙蓉の御容未だ衰えさせ給はねども翡翠の御簪着ても何にかはせさせ可給なれば、遂に御様を替させ給ひ、浮世を厭ひ実の道に入せ給へども御歎きは更に不尽、人々今はかくとて海に沈し有様、先帝二位殿の御面影如何ならん世までも難忘思食に露の御命何しに今までながらへて、かゝる憂目を見るらんと思食続けて御涙せきあへさせ不給、五月の短夜なれども明しかねさせ給つゝ、自も目睡ませ給はねば、昔の事は夢にだにも御覧ぜず、壁に背ける残んの灯の影幽かに、夜もすがら窓打暗き雨の音ぞさびしかりける、上陽人が上陽宮に被閉けん悲しみも是には不過とぞ見えし。  (平家物語灌頂巻)

建礼門院を画いた作としては、下村観山の『大原之露』(川崎武三郎氏蔵)が有名であり、第十一回帝展には植中直斎の作がある。

おはらごこう「大原御幸」の項参照。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)