宇治川の先陣

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うじがわのせんじん


画題

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解説


寿永二(1183)年、源義経が木曽義仲の軍と宇治川で戦った時、鎌倉方の将、佐々木四郎高綱と梶原源太景季とが、ともに主頼朝から拝領した名馬を駆って河中に乗り入れ、先陣争いをした話。『平家物語』巻九「宇治川」に載る。梶原は磨墨という黒色の名馬に乗ってやや先んじて進んだ時、佐々木は名馬生唼を馳せて跡を追いつつ梶原に声をかけ、その馬の腹帯のゆるんでいることを注意し、梶原がこれを締め直すひまに追い抜いて先頭に立ち、先陣に成功した。この両人の河中の先陣争いの場面、とりわけ佐々木の機知の場面が合戦絵の好画題となって作られ、土佐光起・松村呉春などの作品があり、浮世絵の武者絵ではよく取り扱われている。

源義経木曽義仲宇治川合戦の条参照のこと。

(『原色浮世絵百科大事典第四巻』鈴木重三)


大武者絵展

 寿永二年(1183)、源義経が木曽義仲と戦った折、頼朝の臣、佐々木四郎高綱と梶原源太景季が頼朝から拝領した馬を駆って川に乗り入れ先陣争いをする。『平家物語』巻九「宇治川の事」に載る。生唾に乗る佐々木はたばかって、磨墨に乗る梶原に馬の腹帯が弛んでいると声を掛け、梶原が腹帯を締め直している隙に追い抜いて川に馬を乗り入れ、先陣の名乗りを上げる。 図様は川岸で弓を口にくわえ馬の腹帯を締め直す梶原と、先に馬を川に乗り入れた佐々木を描くのが定型。背景に板を引かれた橋などを描く。このパターンは狩野派の掛幅図、屏風絵のパターンでもあり、橘守国『絵本故事談』もこれを示す。江戸初期の絵馬や浮世絵では二図に分けて描く例が見られる。旗指物には佐々木が四つ目、梶原が二枚矢筈の紋を付ける。文化の勝川春亭以降の三枚続などの大画面では、佐々木、梶原共に川中を進行する図が多い。

(『浮世絵大武者絵展』図録)