源義経

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みなもとのよしつね


総合

源義経は義朝の第九子、幼名牛若丸、又遮那王と改む。九郎判官の名を以て最も著はる、母は九條院の雑仕常磐なり 平治元年を以て生る、その歳父義朝平治の乱に敗死せるより刑せられんとせしが、特に赦されて鞍馬寺に入る、而も武技を習ひて父祖の復讐を謀り、承安二年遂に山を出でて陸奥に赴く、此の間近江に於て賊熊坂長範を斬ることあり、上州板鼻に於て伊勢三郎に邂逅のことあり、陸奥に著きては藤原秀衡に拠り厚遇を受く、治承四年兄頼朝の兵を関東に挙ぐるを聞き、陸奥を出て黄瀬川に至りて頼朝に会す、寿永三年頼朝の命を承け、兄範頼と共に源義仲を京都に討つて之を倒し、尋いで平家を一の谷に襲うて之を走らす、同四年夏に平家を屋島に封じ。壇の浦に追及して遂に之を亡ぼす、是より先、功を以て右衛門尉に任じ検非違使に補し、従五位下に昇り院昇殿を許さる、皆頼朝の懌ざる所なり、加ふるに功を恃みて軍事を専らにするあり。更に又梶原景時等の之を讒するあり、之れが為めに遂に頼朝の怒を買ひ、平宗盛父子を押送して東下せしも、鎌倉に入るを許されず、腰越駅に留まりて謂ゆる腰越状を呈し、情を陳したれども通ぜす。更に再び京に上る。その堀河の第に在る時、土佐坊昌俊の頼朝の命によりて来りて夜襲するあり、続いで頼朝亦自ら上洛せんとするあり、為めに義経九州に下らんとして舟を艤せしが大物浦に於て大風に遇うて志を果たさず、大和吉野山に匿れ、更に京都に入り、文治三年北陸道を経て陸奥に赴き、再び秀衡に投ぜしも、秀衡死するに及び、その子泰衡頼朝の命を承けて之を衣川の館に襲ふ、義経遂に力戦して自殺す、年三十一なり、義経の一代に波爛起伏多きも絢爛たる勇武の生涯なり、武家時代に於て尊崇さるゝ所多く、画かるゝ所随つて亦少しとせす、狩野常信の豊、秋元子爵及末松子爵旧蔵にあり。 尚ほ義経に関すること「牛若丸」「 一の谷」「宇治川」「勧進帳」等を参照すべし。(『画題辞典』齋藤隆三)みなもとのよしつね


画題

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解説

画題辞典

「くらうはうぐわんよしつね」(九郎判官義経)を見るべし。

(『画題辞典』斎藤隆三)

前賢故実

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(『前賢故実』)

東洋画題綜覧

源義経は幼名を牛若丸といひ、後また遮那王と改む、世に九郎判官といふ、義朝の第九子で、母は九条院の雑仕常磐である、平治元年の生れで、父義朝の平治の乱に敗れ死するや、特に死を許されて鞍馬山に入つたが、十一歳の時、父祖の恥を雪がうと、日夜武技を励み、承安四年遂に山を出て陸奥に赴き藤原秀衡に拠つた。秀衡厚くこれを遇す、治承四年、偶々兄頼朝の兵を挙ぐるを聞き、黄瀬川に到つて頼朝と会したが、頼朝手を取つて喜び共に平家を討たんことを約した、かくて寿永三年頼朝の命により、兄範頼と共に源義仲を京都に敗り、尋で平宗盛を一の谷に襲うて敗り八月功によりて左馬門少尉に任じ検非違使に補せられ、更に九月従五位下に陞り十月には院の昇殿を許されたが,頼朝之を聞て心私に喜ばず、後日不和となる遠因はこゝに発したとも謂へる、翌四年宗盛を屋島に討ち、更に壇の浦に追て宗盛父子を生擒にし、平氏の一門はこゝに亡びた、その年四月義経は、神器及び太后二宮を奉じ宗盛以下生擒の人々を携へ京都に入り五月自ら宗盛等を鎌倉に送り、東下の途に上つたが、これより先き頼朝は義経の行動を喜ばず、北条時政を酒勾に迎へさせて俘虜を受取り義経の鎌倉入を拒んだ、義経止むなく腰越の駅に停まり、大江広元に誓書を書かせて頼朝に送つた、世にいふ腰越状である、然も頼朝の心解けず、京都に還らしめた、義経怏々として去り途中漏した怨言、頼朝の知る処となり、その采邑二十四ケ所を没収し伊予守に任じたが、伊予には頼朝が地頭を置いたので、伊予にも入ること出来ない、偶々叔父の行家、頼朝と合はず、窃かに頼朝を除かうとして義経と屡々往来した、此に於て頼朝土佐坊昌俊に命じて義経を討たしめた、所謂堀河夜討である、義経の郎党土佐坊を討つたので、愈々頼朝の怒を深くし形勢日に非なので、九州に赴かうとしたが大物の浦より乗船し大風に遇つて進む能はず、大和に入つて吉野に匿れ多武峰に転じ、再び京都に還つたが文治三年二月、北陸から陸奥に入り秀衡に投じた、秀衡よく義経を遇し、その病に死せんとするに臨み泰衡に遺言して義経を大将軍に推戴して国事を見よと云つたが、泰衡は鎌倉と通じて逆に義経を衣川に襲つた、義経力戦したが及ばず、遂に妻子を刺して自刃した、年三十一であつた。  (大日本史)

義経の数奇を極めた生涯は、後世伝奇物語や戯曲等の好題目となり、『義経記』のやうな著さへ著はれたので、俗に判官贔屓といふ言葉さへ生れ、反対に頼朝や梶原が不人気になつてしまつた、義経の生涯は、いろ/\と芸術に深い交渉を有つて来る。

なほ黄瀬川の義経を画いた作に、安田靫彦筆『義経参看』がある

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)