娥皇女英

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がくおうじょたい


画題

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解説

画題辞典

娥皇女英は支那古代の聖天子尭が二人の女なり。尭、舜の賢なるを見て之を畎畝の間に挙げ、更にこの二女を以て嬀汭の地に於て舜に妻はしめ、次いで天下を舜に譲る。後舜南方蒼梧の野に崩ずるや、両女之を悲しみ、涙を竹に灑ぎしに班竹となる、故に後世班竹を湘妃竹という。李淑が斑竹怨に、「二妃昔追帝、南奔湘山間、有涙寄湘竹、至今湘竹斑、雲深九疑廟、日落蒼梧山、余恨在江水、滔滔去不還」

佐竹侯爵の旧蔵に大舜を中央に娥皇、女英を左右に画きたる菊池容斎の作あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

娥皇、女英は共に支那古代の聖天子の女にして、尭帝、の賢なるを見て、二女を舜に嫁せしめ位を譲る、ここに於て娥皇を湘君といひ女英を湘夫人といふ、蓋し娥皇正妃たる故である、舜よく天下を治め賢君の聞え高かつたが、南方巡狩の途次、蒼梧の野に死するや二女大に悲しみ沅湘の間に溺死すといふ。

一説に両女舜の死を悲しみ、涙を竹に濺いだ所、涙痕竹の斑となる、これを涙竹又は湘妃竹といふと。『竹譜詳録』に曰く

涙竹生全湘九疑山中、博物志云、舜南巡守不返葬於蒼梧之野、尭二女娥皇女英、追之不及至洞庭之山、涙下染竹成斑、妃死為湘水神、述異記云、舜南巡葬於蒼梧、尭二女娥皇女英涙下沾竹、文悉為之斑、亦名湘妃竹。

娥皇女英を画いた作に、菊池容斎筆佐竹侯爵旧蔵、中央大舜、左娥皇右女英の三幅対がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)