奥の細道

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おくのほそみち


画題

画像(Open)


解説

東洋画題綜覧

ばしょう「芭蕉」の書いた紀行文の題名、ばしょう「芭蕉」を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


奥の細道は芭蕉が四十六歳の元禄二年三月廿七日門人河合曽良を伴ひ、江戸から奥羽地方を旅行し、北海道を経て同年九月三日美濃大垣に着き、六日大垣から伊勢に向ふまでの紀行文で、此の日数約百五十日行程六百余里、芭蕉最後の紀行文で文章簡勁にして情味豊かに、その松島、象潟の風光を描く処最も名文と称せられてゐる、象潟の一節を引く。

其の朝天よく霽れて朝日はなやかにさし出づる程に象潟に舟を浮ぶ、まづ能因島に舟をよせて三年幽居の跡をとふらひ、むかふの岸に舟をあがれば花の上こぐとよまれし桜の老木西行法師の記念を残す、江上に御陵あり、神功皇后の御墓と云ふ、寺を干満珠寺と云ふ、此処に行幸ありしことを未だ聞かず、いかなる事にや。

此の寺の方丈に坐して簾を捲けば風景一眼の中に尽きて南に鳥海天をささへ、その影うつりて江にあり、西はむや/\の関路を限り東に堤をきて秋田にかよふ道はるかに、海北にかまへて浪うち入るゝ処を汐ごしと云ふ、江の縦横一里ばかり俤松島に通ひて又異なり、松島は笑ふが如く象潟はうらむが如し、寂しさに悲しみを加へて地勢魂をなやますに似たり。

象潟や雨に西施がねぶの花

これを画いたものに左の作がある。

与謝蕪村筆 (重要美術品)  長尾欣弥氏蔵

小杉放庵筆          春陽会展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)