大仏炎上

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だいぶつえんじょう


画題

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解説

東洋画題綜覧

治承四年、南都の大衆、平清盛の専横を憤り之に反いたので、清盛大いに怒り頭中将重衡を大将に中宮亮通盛を副将として南都を討たしむ、十二月廿八日、重衡の軍が南都に火を放つたので興福寺や東大寺の大仏炎上して焦熱地獄となつた、所謂南都炎上で、又、大仏炎上ともいはれてゐる。

興福寺は淡海公の御願、藤氏累代の寺なり。東金堂に坐ます仏法最初の釈迦の像、西金堂に坐ます自然湧出の観世音、瑠璃を並べし四面の廊、朱丹を交へし二階の楼、九輪空に輝きし二基の塔、忽に煙となるこそ悲しけれ、東大寺は常在不滅、実報寂光の生身の御仏と思準て聖武皇帝、手ら親ら琢立給し金銅十六丈の廬舎那仏、烏瑟高く顕はれて、半天の雲にかくれ、白毫新に拝れ給ひし満月の尊容も、御頭は焼落て大地に有り、御身は鎔合て山の如し、八万四千の相好は秋の月早く五重の雲に掩隠れ四十一地の瓔珞は夜の星空う十悪の風に漂ふ、煙は中天に満々て炎は虚空に隙もなし。親りに見奉る者、更に眼を当ず、遥に伝聞く人は肝魂を失ヘリ。法相三論の法門聖教、総て一巻も残らず、我朝は云に及ばず、天竺震旦にも是程の法滅可有とも不覚、優填大王の紫磨金を瑩き、毘首羯摩が赤栴檀を刻みしも、機に等身の御仏なり、況や是は南閻浮提の中には唯一無双の御仏、長く朽損の期あるべしとも覚えざりしに、今毒縁の塵に交つて、久しく悲を残し給へり。梵釈四王、竜神八部、冥官冥衆も驚き騒給らんとぞ見えし、法相擁護の春日大明神如何なる事をか覚しけん、されば春日野の露も色変り、三笠山の嵐の音、恨る様にぞ聞えける。  (平家物語第五)

大仏炎上を描いた作

平井楳仙筆  第四回文展出品

伊藤竜涯筆  第十二回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)