重衡

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しげひら


画題

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解説

画題辞典

平重衡は清盛が子なり、治承三年、左近衛中将に任ぜらる後三位に叙せられ、世に三位中将という。治承四年以仁王の兵を起すや、源頼政を宇治川に破り、更に手兵数千を率ゐて、奈良に赴き、東大、興福の二寺を攻む、僧徒の奈良坂、般若路に防ぐや、重衡火を放つ、時に烈風あり、火延いて二寺に及び、寺院一百餘宇を焼き、大仏亦灰燼となる、二寺の僧是より仏敵として重衡に含むこと深し、後平家の一の谷に敗るゝ時、重衡、荘家長に擒はれて京都に送られ、更に鎌倉に転送せらる、頼朝之を伊豆北条の家に拘せしめ猟に托して引見す。又手越長者の女千手の前を遣わし、酒肴を賜はり之を慰めしむ、重衡一曲を朗詠す。曰く「燭暗数行虞氏涙、夜深四面楚歌声」、頼朝更に奈良僧徒の請ふに任せて、之を奈良に送る、僧徒請ひ得て、堀首、鋸切りにもやせんと僉議ありしも、僧徒の法にあらずとし、一たび請取りて再び武士の手に返し、木津川の辺に斬らしめたり、時に重衡年二十九、「せきかねて涙のかゝるから衣 後のかたみにぬさぞかへぬる」とは奈良に渡さるゝに先だち、醍醐路日野に於て最後の見参と北の方に会うて詠まれたる歌なり、「一念弥陀仏即滅無量罪、願くば逆縁を以て順縁となし最後の念仏もて九品蓮台に生を遂ぐべし」とは、最後に斬らるゝに先ちての言葉なり、なかなかにあわれ深き事共なり、画かるゝ所少しとせず。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

たいらのしげひら「平重衡」の項を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)