吉田文三郎

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よしだぶんざぶろう


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歌舞伎

人形遣い。三代があるが、初世が名高い。 初世は、竹本座で元祖義太夫に協力した人形遣い吉田三郎兵衛の実子。父に学び、立役、おやま人形の名人といわれた。享保十九年(1734)はじめて三人遣いの形式を採用したが、ほかに人形にいろいろと新工夫を加え、彼によって今日の文楽人形劇はほぼ完成された。また作者として吉田冠子と称している。晩年竹本座を脱退し宝暦十年(1760)に没した。